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番頭は、「あげまん」であれ。【第一回・最終話】
『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (最終話)




番頭は、「あげまん」であれ。





野口:そういうのって、血縁関係の人がおおいんですよ。息子だとか、婿養子だとか、そういう二番手がすごく多いと思うんですよ。そういう二番手が、伸びないというか、伸び悩んでいると思うんですね。

菅野:本気で喧嘩をしたことがあるのかなということですね、トップと。うちは、血がつながっているわけではないですし、早々喧嘩もできないですけれども、というか、しない環境だと思うんですよね。まあ、大人対大人なので。けれど、肉親であればあるほどたぶん親子喧嘩的な部分ってあると思いますが、それは、親子ではなく、会社の上司と部下として、ちゃんと提言できるかも、二番手だと思うんです。
女性で言う「あげまん」ですか。だから、社長と二番手は夫婦だと思うんです。社長は夫で二番手は奥さん。奥さんがあげまんであれば、社長は伸びるし会社は伸びる。二番手がさげまんであればその会社はだめ。もちろん旦那は、大酒のみの旦那がいれば、夜遊び好きの旦那もいる、まじめな旦那もいる、けれど、その旦那を選んだのは奥さん。だから結婚しているわけだし。であれば、全身全霊を持って、喧嘩もして、あげまんとして、その旦那をいい方向へ持っていけるのか、ただのイエスマンになるのか?そこだと思う。


野口:夫婦、あげまん、なるほど。



菅野:これも、誰かに言われたんですよ、専務はあげまんにならんといかんと。で、三智ねえさんも、大将と専務も夫婦だよと。会社の奥さんはあなただからと。それを例えば、いろんな家庭があるわけじゃないですか。関白宣言のように、俺より先に寝てはいけないとかね、いわれたことをやれという家庭もある、それでいいんであれば、それは、もうしょうがないのかもしれないですけれど、もし、自分は違うと思うのであれば、夫婦と違って会社はバツイチにはならないので、だんなさんを変えるべきではないかと。だんなを変える根性もないのに、独立だとか、不平不満を言うのは、二番手が間違っているのではないかなと。夫婦だからこそ、直接言うと喧嘩になることも、別の人に言ってもらうことによって丸く収まることもあるじゃないですか。夫婦って。

野口:それって、たぶん、トップと二番手の関係って、いろんな形があるんでしょうね。代表は夫婦型。結局夫婦のひとつだけれど、トップダウンというか、天皇型というか、専制君主型というか。これも多い。夫婦の分類と似ているんでしょうね。


菅野:でも本当に今、社員もアルバイトもそうですけれど、求人広告で、独立できますとか、やる気のあるやつ集まれ見たいなのには、全然反応がない。やっぱり、ぬるい話になりますけれど、楽しい仲間とみんなで、わきあいあいと、という、チーム型というか、協力型というか、そういう広告のほうが求人は動く。たぶん、バイオリズム的なのはある。景気がいいときは、男性型で引っ張って行くかんじが伸びるが、その反対の時には、母性愛的なアプローチのほうが伸びるような気がします。

野口:なるほど。長くなりましたが、今日はありがとうございました。






菅野氏の語り口は、とても穏やかで、論理的。ちゃんとひとつひとつ考えながら言葉を発している。そして、全体を通して、適度な「熱」がある。熱いのだ。そして、トップへの畏敬の念。これは、トップだから尊敬しているのではない。尊敬しているから、仕えている、そんな心の通った関係が見て取れる。トップと番頭のいい関係の秘密、少しでも皆様に伝われば幸いです。


<了>
# by kukanblog | 2007-08-08 17:45 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
飲食店の企業化~「成長ではなく膨張」からの脱却【第一回・第12話】
『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (第12話)




飲食店の企業化~「成長ではなく膨張」からの脱却




野口:1億の会社が5億を目指す、10億の会社が、30億を目指す。これはいいことですが、ただ、市場全体を見たときに、市場規模は右肩下がり。ここ10年みても、法人数も増えてはいないはずだし。今後もどんどん減っていくはずだと。市場の規模が大きくなることはない。中食は伸びるけれども。外食店が出店する場所も、繁華街にはない。明らかに供給過多。そんな市場状況で、一昔前みたいに、独立するなら外食だ、みたいな常識がナンセンスなのではないかと、そういう仮説を持っているわけです。そうなると、既存の外食法人は、もっと魅力的になって、働きたい会社にならなければいけないし、産業としての外食業界において就労していること自体がステイタスにならなければいけない。そんな中で、二番手の果たす役割って、大きいと思うんです。

菅野:二番手自体が、独立することって、そんなになくって、その会社を担っている店長などが、独立するんですよね、たぶん。店長、部長クラスが、独立することに対するメリットデメリットって、その人が、とにかく自由にやりたいんだと、人の下で働きたくないと、夢が「小さな店でこじんまりとやること」だと、それは止められない。しょうがない。否定できない。ただ、「大きな夢を持って、日本一とか、地域一番の外食グループを」とか、そういうのであれば、人は使わない手はないと僕は思うんです。僕は大手企業のA社、マルチ商法、そしてお好み焼き屋と、渡り歩いてきて、組織の大切さというか、それがなかったら、崩壊していると。よく最近言うのが「成長ではない膨張」。仕組みも組織も作らずに、規模が大きくなっていったのが膨張で、仕組みや組織をしっかりと積み上げていって大きくなったものは成長なわけで、その仕組みがあるから、組織があるから、大きな結果を求められると考えれば、たった一人で始めるリスクと確立は僕はとらないほうがいいのではないかなと。過去にもいろんな会社がありましたよね。「独立せい、独立せい」で、うちの会社はそういう若者を輩出する会社だと。会社自体の存在意義が、成長ではなく、教育などに重きを置いているのであればいいんですけれども、そこが、成長を目指して、企業としてやっていこうというのであれば、その、まだまだ、足りないことがあるうちに手放しちゃっているような気がする。組織を使う、つくる、仕組みづくり。独立することが悪いわけではないけれども、遠回りのような気がするんですよね。



野口:まあ、以前から上場企業をはじめ、大手外食は、一生懸命大卒の採用をしてますよね。そもそも、企業が上場するひとつの目的は優秀な人材確保が目的でもありますし、知名度向上で。という状況の中で、まあ、少しずつ、外食のステイタスはあがりつつあると思う。以前よりは。そうなると、菅野さんの話なんかがわかる若い人も多いと思う。たとえば、業界違いますけれど、ITのサイバーエージェントなんて、終身雇用を打ち出しているんですよね。若い企業がそういう判断をして、80年代の日本の古きよき経営手法を取り入れたりもしています。外食産業のやりがい、仕事のしがい、って、会社を大きくして、自分も高いサラリーをもらうと、そういう選択肢ができてこないと、やはり人は定着しない。前向きに仕事に取り組めない。未来がないと。

菅野:うちの会社も終身雇用だと。一生懸命働ける会社にしようと。じゃあ、言っても、それを決めるのは、働く側であって、独立に限らず、辞めていく奴らはいて、ある程度長く働いて、給与もこんだけもらっていて、今やめても、同じくらいの給与はもらえないかなと、よそへいっても、だから、まあ、この会社、この店へいよう、なんていうのでは、伸びていかない、会社も、業界全体も。
結局うちの会社の思いとしては、その会社に人が定着する一番の理由は、自分のやりたいことと、その会社でできること、この二つが存在しないとやめていく。当初入社したときのやりたいことと、できることがあって、接点があって、半年たつと、やりたいことはやりましたと、鳥を覚えたから次ぎ行きますわと、それでは、だめで、独立も一緒。独立と学びだけを見てしまうと、学びが終わったら、卒業してしまう。じゃあ、どうするか、会社も、みんなが学ぶのと同じスピードで成長して、みんなが、やりたいことを増やさないといけない。会社の、本人に対する提案。こういうことが、会社にいることのメリットだと。会社側として、退社する人間、独立する人間に、なんでやめるねん、独立するねん、というのは、間違っている。その会社にいる理由がないからやめていく。売上規模、事業規模の拡大だけでなく、その会社でできることの拡大をしていかないと、人はやめていく。要る理由がない。
僕なんかもそうで、まだまだ、この会社で学べるし、今の立場になれば、まだまだ、この会社使えるし、いろんなことチャレンジできる。何でもできる、新しいジャンルへの進出、キャリアアップ、そして、当然給与も上げることがまだまだ、できる。そういう思いがあるからがんばれるし、そういう場が、トップが任せてくれている、また、自分が提案できるから、この会社にいるんだと思う。
この接点を成長させることが、重要。当然、やらなければいけないこともある。金もらって仕事をしている以上は。

野口:まさに、組織論としては、そう。独立しようとする人に、どうぞ独立してください、と言っている会社は会社の成長が止まっているかもしれないと。

菅野:その成長をさせるのは、やはり二番手なのかなと。トップは、実務的なトップもいると思うが、方向性と夢とビジョン、それをどんどん膨らませていって、それを現実に、今の現状とのギャップを見ながら、今ある「人・モノ・金」を使ってどんなスピードでどんな風に形にするのかを見極めて、各担当に資源を振り分ける、それが、二番手。

野口:優秀なディレクターというか、コーディネーターという感じがしますね。

菅野:僕も、一時期中小企業診断士の資格の勉強をしていたんですけれど。もうあきらめましたけれど。そのときの内容が広く浅くなんですよ。この資格は弁護士でもないし会計士でもない税理士でもない。ただ、基本的な知識と基本的な仕組みを理解していれば、その会社にとって、何がベストチョイスなのかを常に選択をして提案をして、いい方向へ導いてあげることができる、それが、中小企業診断士の仕事だと。
これは、二番手の仕事と似ているなと。トップと一緒になって悩んでいてはいけないんですよね。二番手は。トップが悩んで苦しんで、どうするんだというときに、「よっしゃ、任してください」とか、「今、こんなことやっています」とか、「これにチャレンジしてみます」とか、そういう風に、それを形にしていく、そのトップの悩み、問題を解消していきながら、ともに現場と進んでいく。それができないと、トップダウンで、進む。結果論だけれども、ダイエーや、ユニクロや、カリスマトップの会社は、トップの方向性だけですべてがきまって、外部環境、時代背景の変化などで風向きが変わったときに弱い。それは多分、二番手がいなくて、トップからすべて指示命令が下りていなかったのではないか?また、現場の声をフィルターにかけて翻訳してトップに通す。その逆もしかりで、トップの声をちゃんと翻訳して現場へ伝える、ということ。


野口:そういう意味では、私の仕事と似ていますね。

菅野:ひとつの会社の中でという部分では、そうかもしれないですね。

野口:中小企業診断士に興味をもたれたという部分なんかも、含めて、コーディネーターというか、コンサルタントの仕事に似ている。逆に、トップの仕事は判断すること。そのための、一切合財の判断する材料を用意する、コーディネートする。
少し逸れますが、僕の中で、コーディネーター、ディレクター、コンサルタントという仕事と、経営は違うと思っている。コーディネーター、ディレクター、コンサルタントは、あくまでアドバイス、そして、相手を導くこと。経営、マネジメントは、組織を動かさなければいけない。ナンバー2は、その二つをしなければいけない。

菅野:確かに、そのバランスは難しいかもしれないですね。


野口:やれって言わなければいけないし、動かさなければいけないし。そこに、コツってありますか?

菅野:それは、与えられた環境が、少し、ほかとは違う。普通、社長は会社にいますよね。そして、ずっと目を光らせている。うちの場合は、会社にいない、いない中でやらなければいけない、二束の草鞋の様なイメージなので。少し毛色が違うかなと思ったりもしているんですが。


野口:半分社長みたいな。

まとめに入っていきますけれど、独立したいという人、独立ではなく、組織を大きくするということ。独立することの考えられる楽しみ以上に、組織を大きくするというカードも結構楽しいぜ、みたいなメッセージがあれば。

菅野:対象者は店長とかですか?実際のナンバー2の人ですか?

野口:前者です。

菅野:うちの社員も何人か独立したいと言う話はある。この会社でがんばりますといったのは、独立の目的は何なのか?と。大体は、自由にやりたい、人に何かを言われずに好きなようにやりたいんですと。今は会社のサラリーマンで、同じメニューで面白くないと。堅苦しく感じてて、じゃあ、自由というか、楽というか、そういうことをいうのが多い。その辺はどうですか?

野口:そうですね。

菅野:そういう子へは、逆だと。やらなければいけないことがすべて、やれることにくるだけで、実際に、今度は、やりたくてもできないことが生まれてくるんだと。独立すると。金銭的な問題で、人件費、材料費、内装、なんでも、自分でやると、個人では限界がある。実際に、借り入れが可能だとしても、永遠に繁盛しなければいけないというリスクヘッジってどう考えているんだと。そうすると、成せば成ると。じゃあ、企業で働くと、そんなに堅苦しいかと?イデアに関しては、メニューにもオペレーションにも、新業態にも、どんどん、「社員に参加させる。チャレンジする。君が、独立して、すぐに違う業態の店を出せるかと。まず、借金を返さなければいけない。自由なんてなくなる。会社の金を使ってチャレンジができる、こんな楽しいことはない。もしイデアが、FFのように、何でもやること決まっていて、といった会社ならば、話はまだわかる。しかし、イデアは違う。やりたいことができる会社だと。結局みんな、成せば成る。独立すること自体が目的、その先は考えていない。こういうのがものすごく多い。独立するのはいいが、その後知らんぞと。考えがなさ過ぎる。うちの会社は、業態は増やす。同じ客単価ゾーンで、同じ客層を狙っていく。鳥を極めた子が、魚も触りたい、だから転勤しようかと、その場合、イデアでは、同じ待遇、役職で、新しい世界に挑戦できると。もしそこで何年かがんばって、自分もキャリアアップして、やりがいの構造とか、そこにリスクはどこにあると。もし、また、狂牛病とか、いろんな外的要因が怒っても、雇用保険もあるし、絶対にリスクは少ない、独立開業のリスクは大きすぎる。いま、うちはこれから数年先にやろうとしているのは、イデアにいながらの社内独立。これは、形にしたい。

野口:菅野さんの思考の基本として、プロセスをしっかり組み立てて、やっていく。それは、社長でも、会社でも、やることはおなじ。だったら、会社で一回やってみたら?と。会社でできなくて、外でできるの??と。

菅野:そうですね。

野口:実際、番頭は楽しいですか??

菅野:そうですね。楽しいですね。ちょうどよい拘束感と、適度なフリーな感じと。



野口:じゃあ、それを次は、日本全国の中小企業の外食の二番手の皆さんに、特に、これから伸びようとしている、3億、5億程度の会社の、上昇志向のある会社の二番手の皆様へ、メッセージを。二番手って楽しいよと。外食企業の8割くらいの二番手は、何の意思もなく、トップに振り回されて忙殺されているんじゃないかと、菅野さんは意思があるから、楽しめているのではないかと。

菅野:いろいろ前提違いはあると思いますが、トップとのコミュニケーションであったり、ベクトルが同じとか、そういう前提ではありますが、結論、責任がない中で大暴れができる。怒られますがね。これが、二番手の一番のメリット。醍醐味。

野口:大暴れできるということは、できる、ということですもんね。できない人が、二番手だろうが、トップであろうが、だめ。

菅野:もし、今、二番手なのに、やりたいことができていないとしたら、それは、名ばかりの二番手で、歯車、組織の一部分を任せられているだけで、本当の意味の二番手ではないのではないかなと。



最終話へ

# by kukanblog | 2007-08-08 17:44 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
社長になる自信がない【第一回・第11話】
『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (第11話)



社長になる自信がない



菅野:自信がないというのは、大将にはなれないということです。大将のいい部分、悪い部分って、いろいろみえると思いますけれど。大将の悪い部分って、ナンバー2にとっては悪い部分でも、人をひきつける部分では、ものすごくよかったりするんですよ。

野口:役割分担ができていると。

菅野:そうなんですよ。そう考えると、僕が持っていないものをものすごく持っているなと。じゃあ、僕が仮に社長になって、大将と同じことができるかというと、多分、僕は全部自分でやっちゃいますし、それは失敗を招くなと、そういう思いがあります。僕が社長になれるとしたら、今の大将と同じ形式をとって、イデアの専務でありつつ、株式会社菅野でも作って、やりたいたこ焼き屋でもやって、好きなことをやって、もしかして、それが人が集まって、結果として事業になることはあるかもしれないが、それが目的ではない。
僕は社長になることがゴールではなく、(事業の)結果じゃないですか?自分が平社員であったとしても、結果としてそれが、永遠にずーっと動いているものであれば。よく、世界一のセールスマンとかいるじゃないですか、ベンツ売ったら誰にも負けないとか、そういう人が、なぜ、経営者になって、人を使わないのかといえば、それはできないんでしょうね。そういうことなのかなと。そこはもしかしたら先天的なものがあるのかなと。性格的なものが。





野口:やめようと思ったことはないですか?

菅野:二回くらいありますね。楽しかったはずの仕事が面白くなくなっちゃった時があるんですよ。面白くなくて嫌だなと。自分の中では多分、変な自信じゃないですけれど、どんな会社にいってもなんとかやっていく自信はあるんですね。変な話。それを考えた中で、何でそんな風に思ったのか考えてみると、トップとのコミュニケーションのないときなんです。だから、自分の中で種をまいていたり、良かれと思ってやっていることが、ことごとく空を切ったり、最初から否定されたりしていると、「あれ?おかしい。」と思うんですね。

野口:モチベーションがなくなる。

菅野:逆にそれって、会社が大きくなって、お互い忙しくなると、そんなにしょっちゅう会っている暇もないですよね。会社の方向性はバシッと決めないといけないと。それで、大将としては、菅野は俺のことをわかってくれていると、10何年も一緒にやってきて、気心も知れてやっているんだから。僕としてもそのつもりでやっていると。それでもお互い反対を向いているときがあったんですよ。

野口:ほお。

菅野:その、結構、そうなってくると、喧嘩もしますし、モメルし、なんていうのかな、より、コミュニケーションを取りたくなくなっていくというか。そういう時期はありましたね。

野口:二回もありました??

菅野:最初はだいぶ前の話ですけれど。一番近いのは、二年前くらいですかね。

野口:出店のタイミングで言うと、

菅野:2004年くらい。まだ、丸の内のオープンの前くらいですかね。何考えているんだ、このおっさんと。

野口:否定的に思うと。


菅野:自分のこの会社を回している一員だし、そこで動いている、そして、こんだけやっているんだから、余計なことをすんなと、自分の中での逆転現象がおきたことはありましたね。それは、何なのかというと、ただ、接点がなかっただけなんですよ。そのときに、うまいこと、第三者がいて、大将自身も相談にいっていて、僕も同じ人に、たまたま相談していたんですよ。うちの監査役なんですけれども。

それで、なるほどねえと、まあ、そんな話は簡単なこっちゃと。

野口:(笑)

菅野:監査役に、こうこうこうしなさいと。ほんで、すっと、直ったんですよ。なんだったかというと、コミュニケーション不足。
あなたは、イデアの大将になりきっているつもりだけれど、なりきっていない。大将も、専務に任せきっているつもりでも、任せきっていない。と。そのずれを直せば、問題ないと。これは、トップの人に対する話かもしれないですけれど、気をつけましょうと。



第12話へ
# by kukanblog | 2007-08-08 17:43 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
大事なのは、相手に「なりきる事」【第一回・第10話】
『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (第10話)






よき番頭は「作れるのか?」


野口:まあ、今回は会社のヒストリーじゃなくて、菅野功のヒストリーなので。衝撃的なヒストリーを聞いているんですけれど。
ここからは、今回のテーマ・番頭塾「ナンバー2、育成せないかんよ」と。しかし一方では育成できるのかと。たとえば、松坂とか、イチローもそうですけれど、先天的に持つべくして持った才能が開花したものと、古くいえば、掛布のように、努力型で積み上げていって、ひとつ大輪を咲かせたというパターンもあると。ひとそれぞれだと思うんです。
で、どうでしょうね。今、菅野さんにも聞いたんですけれども、今の菅野専務があるのは、先天的か、後天的かという話で、まあ、断定はできないとは思うんですけれども、菅野さんなりの後天的な環境が人をそうさせると、体験談からおっしゃっていただいた。
で、今、お話を聞いている「番頭になるためのナンバー2論」ということで、なにかこう、どうでしょうね、あえて言うと、第三者の会社の若い人だとか、スタッフなんかにメッセージを発していただきたいですね。

菅野:あの、そんなに難しいことをしてきたつもりはないんです。わかりきったことだと思うんですけれど、僕は、その人になりきることなんだと思うんですよ。

野口:その人というのは社長。



菅野:トップ、自分の目指す人、自分が担いでいる人。よく「分身を作れ」とか言いますけれど。結局は本当にそう思ったら、なりきることだと思う。なりきるからこそ、この人今、何してもらいたいのかな、何を考えているのかなということがわかるので、種がまける。
その本人じゃないので、本人以上に種がまけるんですよ。芽の出ない種が100あっても、3つくらいポンって芽が出る確率は結構あるんですよ。僕はその、今でもそうですけれど、何をするにしても、会社にとって、大将にとって、イデアにとって、イデアになりきったときに、何が一番ベストなのかと考えて、何せ種をいっぱいまいている、という意識なんですよね。そんなこんなでいろいろやっていると、大将との話の中で「実はな、こんなこと考えているんだけど」なんていわれると、実は半年前にまいた種が頭に浮かぶ。「そうですか、わかりました、ちょっと調べてきます」といって、半年前の種どうなったかなと、それは、人脈であったり、人間関係なんですね、すべてが。人間関係の中でやり取りがあって。あーですよ、こーですと、あーその話生きていたんですね、見たいな感じになって。そうすると、話が早かったりするし、自分の中で動いている部分であれば、これはどうでしょうかと、提案もできる。その人になりきる、ことなのかなと。
で、あとは、もう、種をまき続けながら、人脈人材、仲間たちを多くもって、「知らないことは人に聞け」ですから。聞ける人がどれだけたくさんいるのかなと。協力してくれる人がいるのかなと。
二番手としては、トップは、空飛んで、陸にいる日だけが、うちの仕事なので、空飛びながら妄想と想像とごちゃ混ぜになって、陸に下りてボンといろいろ出てくるわけですよね。そうすると、なおさら、それを翻訳して解読して現場に伝えるのは大変なんですけれども、本当に予備知識を持っておかないと、対応できないんですね。だから、そこを常に考えているのは確かですね。大将今何考えているのかなと、大まかな話は聞くんですね。たとえば、2016年100億円、これも、どちらかというと、半分、大将に言わせている部分があるんですね。
けれど、ビジョンが見えないと、種も負けないし、先回りできない。今までのうちの会社は出たとこ勝負で、成せば成るで、「成功するまでやめなければすべて成功だ!」的な感覚でとにかくやりきるという風だった。目の前のことだけをわああーっとやって、積み上げてきたことも、今の規模になるともう無理なんです。やはりビジョンがないと無理だし、せめて、一年の短期と、3年の中期と、長期のイメージだけは、なるべく飲みながらでも、雑談しながらでも大将からいろいろ聞いて。



大事なのは、相手に「なりきる事」



菅野:トップといるときには現場のせいにするんです。現場の子達がこんなことを期待していますよ、とか、現場は目標が欲しいんじゃないですか、とか。そういえば、あいつは、こんなこと言っていたなあと。そうすると大将も「そうかそうか」と、「一回形にしてみようか」となる。
そこから一週間二週間経ってまた話をしてみると、「考えていたことがあるんだけれどな」となって、2016年100億、あーでこーでー、見たいな話で「わかりました」と預かって、整理をして、こんな形ですよねと。「そうだそうだ、なるほどね」と。そろそろHPにアップしますんでまた校正してくださいね、と。
短期であれば、一年間の店長会議、経営会議、アルバイト研修、社員勉強会、主任勉強会、オーナー研修なんて、やったらやったでいいのはわかっているんだけれども、行き当たりばったりでは、結局仕組みにならずに、組織が円滑に回らないので、オーナーの思いを聞いて、これは、ちゃんとしなければいけないなと、計画を立てて、大将との話の中で、これは、中期長期だけではない、短期の物が必要になってくるんじゃないですかね、と。大将はそのとおりだと。実はこんな計画があるんですけれども、どうでしょうかと。それはまさしく、ある程度、すべてではないですけれども、却下されることもたくさんありますが、積みあがっていく中で形になっていくんで。
ベースは何かというと、その人になりきる。そういう形で接しているんですね。だから、たとえば、最近なるべく手をださんどこうと思っているんです。現場の仕事を。実は今日から、大阪キング(イベント)が始まる。今日の11時オープンなんです。昨日から準備をしているんですけれど、ちょっとのぞいて、後は任せたぞと。ほったらかしなんです。行ったらいったでやっちゃうんですよ。逆に、行かないときに、始まって、顔だけ出したときの状況を見て、このイベントを成功させようと思っているやつは誰かなと。それは見えてくれる。それはもしかしたら先天的なものなのかもしれないんですけれども。そういったものでみないと、その、人は育てられない、育っていかない。僕がいたら、全部自分で段取りしてしまう。この前も失敗したんですよ。取材かなんかで、テレビの撮影があったんですよ。「お前らやれ」と。俺は写らないからと。けれど、(テレビ局の)部長が来るからというので、顔だけ出すわ、といったら、結局僕が全部しゃべっちゃった。要するに、俺やらないから、お前全部段取りしろよといって、俺は、現場でも部長としゃべっているのに、そいつは動き出さないんですね。こいつらだから、まだ、俺になりきれていないなと。そういう意識すらないんだなと。そういう風に思っちゃうんですよ。
だからたとえば、最近よく見かけるのは、大将、三智ねえさんと、みんなと歩いているときに、店長や部長クラスがさっと、三智ねえさんのかばんを持ったり、大将のかばんを持ったりとか、歩くスピードとか、歩くときの位置とか、を見ているんです。そんとき、今まで後ろのほうをだらだらタバコ吸って何も考えずに歩いていたやつが、オーナーの横に並んで、かばんを持って歩いているやつが一人二人増えてきたなと。けれど、言わなかったらやらないんですよ。だから、そろそろ、俺はもう、なるべくやらない。やってくれと、いつまで俺にやらすねんと。何で俺が店長会議に来る店長の来る時間を心配しなければいけないんだと。心配なんですけれどね。慰安旅行もね、後から来る子、後から来る子、みんな、自分が楽しむだけで精一杯で、まったく周りに対する気遣いがない。この慰安旅行を成功させようとするのは誰の意思だと。会社の為であり、大将の立場で言ったら、何のために会社の金を使ってやっているんだと。その立場になりきれているやつってどれだけいるのかと。で、最近は部長とか呼んで、そこができなかったらお前、万年部長と。お前が将来本部に入りたいといっている、店長だとしても、無理と。そういう部分で相手の立場になりきって目配り、気配り、行動が移せない人間は、どんだけ「もも焼き」がうまく焼けて、接客が上手でも、組織を動かす人間にはなれないんだよと。そいつになりきることかなと。





今の僕は、大将になりきる、イデアになりきることが、二番手であって、逆に言うと、僕の分身を作ろうと思ったら、今いる子達を見て、そういう行動ができている子がいたら、雑談の中で、無意識なのか?意識的なのか?を確認して、意識的にやっている子に対しては、よしよしと、次のステップアップの仕方を教える。無意識でやっている子には、こういう効果があるんだよと、それは、今、君は無意識でやっているんだろうけれども、意識を持ってやることと、それを今度は自分の部下にも伝えなさいと。無意識でやっていると、延々と人に伝えることを忘れるからねと。ちょっとずつ、話をして、組織と仕組みで、意識を持ちなさいと。二番手になれというのがいいのかはわからないが。本当に会社として、その会社を大きくするのも、よく大将が言うんですけれど、ソニーも松下も、大きくしたのは二番手だと。いろんな取引先の前とかで言うので、僕を持ち上げるために言っているんだなというのは感じますし、うれしいんですけれども。その役割って重要で、じゃあそれが、体系化できるとなれば、今の自分の中では、そういうことかなと。精神論的な話かもしれませんが。
イデアも、今度新しくHPが立ち上がりますが、野口さんからもヒントをいただいて、商品力、接客力、販促力ってあったじゃないですか。あれを応用して、企業力、教育力、をくっつけて、もう一個、5Sをくっつけて、今のイデアの僕の中のプロジェクトなんです。商品力、接客力は今の現場で動くような流れはできている。あとは、教育力。教育は今年年初から取り組んでいて、今年の6月で引き継いで下半期は任せてみようと。そういうことになっている。今、社員もアルバイトも、辞めないんですよ、離職率がすごく改善されているんですね。これは、もっとブラッシュアップして行こうと。次に企業力だと。会社のブランドで、この会社にいてよかったなと、思ってもらえるような会社にしようと。そのために、社内報とか、いろんな仕組みを作ってやっている。それもじゃあ、大将に言われてやっていることは何もない。けれど、トップが目指すことと、やりたいことって、何があると?これしかないだろうと。まずは、おいしい料理といい接客で、お客様に満足して帰っていただくと、それを維持するには、人を育てる仕組みが必要でそれが教育力と。販促力も、この何月かで、ホットペッパー、ぐるなびなど、対外的な割引クーポンを全部廃止する。大将の割り引き無き販促だと、この大号令の元、やっていると。そういうことも形にしながら、これが、本当の販促力だなと。あとは、それをトータル的に企業力として、働くみんなが、会社のよさを自慢できるような、あの店おいしいからいこうやと、言うような自慢を、うちの会社いい会社だからおいでやと、そうなるような会社にすると。これを形にするための種をまいていっている中で、今、野口さんともいろいろなアドバイスをもらいながら、やっぱり企業力だなと。今これをやっていこうと。これを年初に大将にプレゼンしてGOがかかって、今、やっている。




野口:だめだ、菅野功・・・・・・・・・。それにたどり着くまでを知りたいんですよね・・・・・・・・・。

菅野:それは・・・・・・・・、楽しんですよね。好きこそ物の上手なれと。

野口:興味があるから意識の扉も開く。楽しいからか。そこで、僕が一番聞きたいのは、何で社長にならないんですかと。

菅野:それは、自信がないんですよ。

野口:えええええええええええええええええええええええええええええええええええええ???


第11話へ
# by kukanblog | 2007-08-08 17:42 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
想いを積み上げていって、「やっていける」と、確信に変わった。【第一回・第9話】

『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (第9話)



想いを積み上げていって、「やっていける」と、確信に変わった。


野口:もう一度聞きますけれど、確固たる入社理由ってあります???

菅野:大将のビジョンがすごく熱かったのは確かです。一緒にこの会社を大きくしたいと。会社の理念、社訓を言われて。その当時からあったんですね。理念が。あとは、形にはなっていないけれども、大将の情熱みたいなものをうわああああっと、話されて、なるほどなと。
で、C社の社長との決定的な違いは、この社長となら、いままでできなかったことが、いろいろできるんじゃないかなと。C社の社長もいい人だったんですけれども、人が良すぎと言うか、クルーザーは買う、エクスプローラーは買う、毎週社員を連れてクルーザー乗り回す、慰安旅行は社員から一円も取らないし、いいかっこしいで、みんなには慕われるけれども、結局何も残らないタイプだったんですよ。僕は、C社の社長を見ていたんで、これではだめだと。公私のけじめと、会社と個人の切り分けとか、そういうことがちゃんとできないとだめだと思っていた。
大将はその辺ちゃんと明確になっていて、ガラス張りの経営で、売上にしろ、何にしろ、一円たりともごまかさないし、節税はするけれども脱税はしない、ごまかしもしないと。当然だと。それを聞いて、この人はちゃんとしているなと。そして、当時、二店舗しかない。味は常連だったので、絶対いけると。で、バイトで入ってみて、仕組みができれば、展開もできると。
ここなら一年がんばれば、前職の給料を超えられるなと、思った。うちの会社は今でもそうなんですが、入社時点では、全員誰でも給与は20万円。それは、年も扶養家族も、前職もキャリアも関係ない。僕も20万だった。僕は給料は貰えるもんじゃないと思っていたんでいくらでもよかった。で、一年たっても、自分の給料がそのままで、やった実績を見てもらってもそのままだったら、やめようと。でも実際一年たったときに、この会社ならできるなと思ったことができて、ポジション、責任も与えられて給与に関してもそれなりの評価してもらったんで、これは、大丈夫だと。確信した。


野口:なるほど。それは、バイトしているときに思ったんですか?



菅野:バイトしているときに、一応見ていて、その時、大将から社員になれ社員になれとしきりに言われて、一応「でもねー」なんていってたんですけれども、まあ、休みが多くていつも大将とあって、「これからどうするんですか」なんて話をしているうちに、まあ、いいかなと。


野口それで、12月には社員になったと。それは、自分から申し出たんですか。

菅野:まあ、どっちからというのは、はっきりしてないですね。話をしている中で。ただ、「これで、よし、入社だ!」と決まったときに、大将が「奥さんと子供つれて来い」と。今の千日前店の地下が割烹料理屋で、そこに、奥さんと子供つれていって、大将と会食して、その、奥さんにも話を聞いてもらおうと。奥さんも巻き込んで、大将も、三智ねえさんもいろいろ話をして、今度お世話になる社長さん夫妻ですと。僕の嫁さんも、前の倒産の話とかあったんで心配している部分もあったから、大将の話を聞いて、何事の問題もあるわけもなく、会食も終わって。奥さんも安心してくれたし。こういったことからも、まあ、この人だったら安心かなと。任せられるかなと。自分の夢が。そういうきっかけには、なりましたね。

野口:いろいろたくさん話を重ねて、自分の価値観、大将の価値観が確認できたと。

菅野:入社の時点でこれだ、なんて思ったことよりも、やっぱり、積み上げていって、どんどん確信に近づいていったというのが正しい表現かもしれないですね。

野口:で入社して、蛍池、千日前店、と。平社員で最初は。

菅野:そうですね。なんやかんやいっても、やはり最初は「大将が連れてきた人」というレッテルを張られるんですよ。もちろん、それを覆すのが自分自身だと。それは、最初に大将からも言われてましたし。重々自分も承知してましたし。実際に現場でみんなと一緒に働いて、僕の人となりを理解してもらわないといけない。そうしないと、次、三号店で、江坂店オープンで、僕より社歴の長いスタッフもいるわけですから、そこでブーイングが出たら意味がないですからね。そういう意味では、最初の一年間はそれなりに僕としては、自己主張しながらも、まあ、この人なら何とかなるんじゃないのという部分を現場の皆さんに認めてもらうための期間というか。
僕が確認しているわけではないですが、大将と各店長の間では、「3号店を菅野に任せてみようと思う」という話はあったと思うんですよ。それで、やはり反対というか、よく思わない店長や社員もいたかも知れないですよね。入って間もない人間が店長に抜擢ですから。いくら大将と知り合いとはいえ。

野口:で、晴れて江坂店でオープニングの店長と。

菅野:はい

野口:単純に現場を回しながらも、会社全体に寄与するようなことは、マニュアル作りとか・・・・

菅野:日報、朝礼、店長会議・・・、本当に、基本の仕組みづくりですね。すべてが、ざるで掬っているような仕事ばかりなので、そのときは「あっ」て気がついて終わっても、そのままで、改善しても継続できない。点が点のままでしたから、点を線にしようと。入社してから、店長になるまでの間、自分の覚えることもたくさんあったんで、それと平行しながらやっていましたね。

野口:それは、大将や会社から言われることなく、元々自分が必要だと思ってやっていたことだから、それを形にしていこうと。

菅野:そうですね。逆に、大将からあれをせい、これをせいといわれてやった記憶は無いですね。あんまり。自分からやりながら、もっとこうしたらいい、ああしたらいい、ということを普通に形にしている。それは入社から今も変わっていない。

野口:それは、積み重ねでしかない。それを大将が認めてくれる、また、アドバイスをしてくれて、会社のスタンダードになっていくと。なるほど。まさにそれが、良くも悪くも二店舗から、自分のやることが会社の血となり肉となっていくことを体感していったと。

菅野:「B」でやっていたことを全部持ってきて、それを読み返しながら、全部イデアに当てはめて作っているんで、アルバイトの質は、その痕跡が残っているような状態ですね。

野口:江坂店から次、戎橋店、梅田店、

菅野:戎橋は鈴木部長がオープニング店長で、僕は、江坂店でバッタバタしててどうしようもなかったんで。梅田店オープンのときに、初めて日本LCAや、野口さんともですけれども、出会いがあって、今まで我流でやっていたものをより、体系化し始めた。

野口:日本LCAとの接点は??

菅野:銀行が、大将にベンチャーリンクのセミナーを紹介して、大将は聞きにいって、おもろいやんけ、って興味もって、当時牛角がFC展開するときで、小林社長の話を聞いて。おもろいやんけと、そして、ベンチャーリンクから、日本LCAを紹介されて。

野口:日本LCAは、コンサルとして入りながら、あーでもないこうでもないといいつつ。そこで、日本LCAから俺に電話があって、メニューの話で、まあ、ぶっちゃけ彼もよくわからんと。それで、うちに投げてくれて、事務所に皆さんがお見えになったんですね。

菅野:それで、うちが当時ベンチマークしていたのが「えん」で、

野口:ですね。

菅野:「えん」って誰が作ったんだって、日本LCAに投げて、調べさせたら、「あれは、ミュープランニングだ」と。で、もっと詳しく調べさせたら、「ミュープランニングというより、今は、ミューをやめた空間計画の野口さんという人らしいです」と。で、最初は日本LCAと一緒にお邪魔したんですよね。

野口:そうですね。私も記憶であるのは、待ち合わせはいつも江坂店。当時はまだ、店長兼任でしたよね。

菅野:そうですね。

野口:それで、営業前に打ち合わせしながら、それで、亀井先生が設計担当されていて、梅田の話を、俺が 正式に入る前に、接点持ち出していて、そのときに簡単にメニューの話とかをして、同時に梅田の案件があったんだけれども、一回やめたんだけれどももう一回出してきて、観覧車に乗りながらビデオとって、それを送ってもらって、それで、俺は物件の位置が確認できて、

菅野:だから本当にまずは来てもらって、全店回ってもらって、そして江坂店の個室で全メニュー並べて食べてもらって、その後野口さんが、「ホワイトボードありますか?」って。そこからわああーっと、業態の理論の講座が始まって。うちの蛍池、千日前、江坂、戎橋、と、当時の既存4店舗の業態を上手に整理していただいて、「だから「車」は成長して、伸びるんですよ」みたいな話をしてもらって。なるほどなああーっと。それで、よしよし、となって、もっともっとブラッシュアップしていこうと、なりまして。そして一発目は「このメニューブックはだめですね」と。

野口:メニューが、「目」に「言う」でしたからね。(笑)。よしずみたいなのを使った表紙で、それで、右からも左からもつけるでええ、見たいな楽しい感じのやつで。

菅野:そうでしたね。



番頭は、現場とトップの翻訳マシン


野口:この辺から菅野さんは会社を全体的に見る立場になっていくんですね。実際に現場をあがったのは。

菅野:梅田店のオープンのときですね。このときに江坂店を店長に任して、立ち上げで梅田に入ったんですよ。ちゃんと日笠という店長がいて、あくまでサポートとして。

野口:事務所は4階でしたよね。

菅野:そうですね。梅田店オープンで現場あがったみたいな感じだったんですよ。

野口:専務取締役になったのは?



菅野:2000年、ですね。梅田店の前ですね。2000年4月。そのときは店長会議とかも、大将もガンガン発言していたので、僕的にはすんなりと理解できる内容でも、現場の店長からすると、もう少し翻訳してあげないと理解できないし、表面上の言葉だけで入ると「なにー」みないになる、それを「これはね、こういう意味でね。」って話してあげないと、みんなも理解できない。そんなことが山ほどあるわけですね。翻訳マシンです。

野口:そういう役割を自覚し始めたのはいつごろからですか??

菅野:やはり、現場を抜けたこのころからですかね。

野口:店舗も4店舗に増えて、まあ、大阪とはいえ、そんなに近隣にあるわけではないですしね。

菅野:たぶん、梅田の前に、現場抜けていますね。

野口:けれど、当時もちょくちょく現場に入ってらっしゃいましたよ。人が足りないとかで。それで、自分が自分の役割の仲で、全体を見て。

菅野:結局、僕がそれをしないと、組織が動かないし、仕組みが動かないなと。大将も折角いいことを言っているのに、あああ、と、つたわっていない、もったいない、それが伝われば、もっとこのイデアの組織も機能も潤滑に回るのになと。
もちろん、自分の目標としてはこの会社を大きくするというのと、僕としてもキャリアをあげていく、給料も上げていくということを考えていけば、自分ひとりで何ができるかと。今も、独立というのがまったく頭にないわけではないですよ。けれどね、一人で何ができると、いつも思うわけですよ。組織を作って大きくしていくことが、自分に帰ってくるメリットも、また、一緒に働くみんなへ還元できるメリットも、数倍になると思うし。もちろん、その組織のトップになればいいだけの話しかもしれないけれど、今のご時世で考えるんであれば、まずは今いる自分の会社も大きくできない人間が独立して本当に人を下につけることができるのかなと。多分それは難しいだろうなという自分の中の理解から、今のトップ、大将がいるわけで、その下の三角形をいかに大きくできるかというのが、将来自分が大きくできる器とイコールだと思っているので。

野口:ある意味リハーサルというか、


人に助けられて、ここまできた


菅野:だったらとことん大きくするべきだと。
そしてね、はやり僕は助けられて生きている人間なんです。たとえば、A社で首になっても、なんだかんだいっても、マルチの縁があって拾われて、マルチがだめになっても、なんだかんだ会長の電話一本で白浜に飛んで、そのまま大阪にいるわけで、大阪にいたからこそ、お好み焼き屋とも出会って、先輩に引っ張られて飲食業界に入って。お好み焼き屋が大きくなって、それがポシャっても、大将に声かけてもらって。人脈、人のつながりは宝だと。これがもっともっと大きくなれば、僕にとっても、それは、会社にとっても大将にとっても、マイナスになることはひとつもない。プラスになる。

野口:さっきも聞きましたが、自分がナンバー2として通訳係にならなければいけない。自分が何がしか仕事をひとつの会社の最適化、全社的なものとしての最適なものをつくる、仕組みに変えるということは、これは、別にイデアだから必要だと思ったのではなくて、常日頃、それは「B」も含めて、いろんな場所で思っていて感じてきたこと、ですか。

菅野:マルチで学んだことですかね。

野口:へえええ

菅野:僕は、マルチ商法と出会わなければ、今の自分はないと思っているんですよ。24時間365日の仕事をして、片道切符で遠くまで営業にいかされて、やくざの事務所で電話番もし、借金1000万円抱えたのも、結局全部自分で処理したんですね。返すときも、自分でサラ金会社に社長の振りして電話して、「いま、こいつの世話をしている。何とかこいつをしたいから。必ず俺がこいつの給料から振り込むから、金利は取るな」と。もう、この時点で借りた50万は200万くらいになっていますからね。完全に自作自演で。けれど、これも、一応組織の中にいるからできるノウハウだったりするわけじゃないですか。そうなってくると、自分の役割、自分がこれからしていくことであるとか、やるべきことというのは、マルチ時代の体験があったからこそです。
「B」にいっても、もっとこうすればよくなる、そのトップの考えをいかに、自分で現場に浸透させていくのか、ある意味、無意識の世界でやっているとは思いますけれど。だから、常に腹に立つことなんていっぱいあるんですよ、仕事してても。何で気がつきゃへんねんって。自分だったら、あれもこれもこれもこれもって、なっているのに、みんな見えていない。この事務所にいても、一番最初に誰が気づくかって、僕なんですよ。一番奥に座っているのに、なんでみんな気がつかないんだと。たとえ集中していても、アンテナ立てて、こうなっていなければいけないんだよと。それは、マルチの時代があったから、こうなっているんだと思う。たとえば、ホールの接客でもいっしょ。わかりきったことですけれど、料理をもっていって終わりじゃないよと。テーブル見て、歩きながら全部のテーブルを気にして、これを無意識でできない人は多い。言ってできるものじゃないと。育っている環境なのかなと。僕も中学校から小遣いもらわずに、一応精神的には自立してやっていて、大人になってマルチで揉まれて、いろんなところ見ているので、生きる術、をね。

野口:ズバリ聞きますけれど、それって、先天的なものですか?後天的なものだと思います??

菅野:僕の人生の中で言うと、育て上げられたものだと思うんですよ。ただ、その今までの生かされ方があったから、身についているんじゃないかなと。その環境に如何に自分を置くか、そいつを置かせるか?これが必要かなと。大将がよくいう「つらいことほど、今になっては楽しい思い出だ」と。マルチの時は本当にどつかれたおしていましたから。営業にいって、だめでした、なんて帰ってきたら、「ボケカス、もう一回行ってこい」ですから。そんなこと言ってももう帰ってますし、見たいな感じなんですけれども。それでも、「行って来い!」です。「相手の家の前に着いたら電話してこい!!」ですよ。だから、いろんなことが苦にならなくなるんです。まあ、生きて行けるかなと。人間何とかなると。そういうことをやってきているので。生きる術を体感したからこそ身についたものだと思うんですよ。

野口:なるほど

菅野:富士山の鬼の特訓?とかあるじゃないですか。ああいうのも、意味があるから続いているんだと思うんですよ。意味がなかったらなくなっているだろうし。



第10話へ


# by kukanblog | 2007-08-08 17:39 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
大将との出会い【第一回・第8話】
『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (第8話)




大将との出会い


菅野:まだ、「車」が一店舗しかないときに、大将も、何とか稼がなあかんなと。で、大丸の地下の催事で、「もも焼き」焼いていたんですね。その同時期に、たまたまFC展開してて、ポッと暇になる時期があるんですね。それで、大丸に飛び込んで催事に出れないかと聞いたら、出れると、それで僕らが初めて出店した催事の隣に出ていたのが「車」なんですよ。当時大将が35歳ですかね。

野口:菅野さんは??

菅野:28歳くらい。「B」が、倒産する半年とか、一年位前ですよ。



野口:逆に言うと、「B」が一番いいときですね。FC展開でイケイケのときだ。


菅野:そうですね。そのときに、隣同士になって、ずっと一緒なので、結構しゃべるわけですね。で、大将から「にいちゃん、お好み焼きくれ」と。当時、けっこう出店者同士は物々交換というか、お金は貰わないんですよね、お互い。残ったものを交換したり。
で、そのとき、僕は覚えていないんですけどね、僕は大将からちゃんと「お金を取った」らしいんですよ、それを大将はいまだに覚えていて、「それで気に入った。若いのにしっかりしている」と。僕は覚えていないんですけれどね。
で、催事は一週間なんですが、僕の仕事振りを大将は見ていて、ある日の昼休みのときに声をかけてきて、一緒に昼飯を食いに言ったんです。それが初めてですね。


野口:そこではじめて大将と出会ったと。

菅野:で、昼飯食いながら、話を聞くわけです。俺はこんなんやっているけれど、実はパイロットだと。へええ、と感心するばかりで、僕も。菅野君はどんな仕事をしているんだ?って聞かれて。当時FC展開始めていたんで、そんな話をして。そしたら大将も「今は一店舗だけれども、うちもいずれは大きくしたいんだ」と、「また機会があったらいろいろ教えてくれ」と。「あー、何でも教えますよ」と。
それから、ちょくちょく連絡取り合って、大将が催事に出店したら買いに行ったり、その後、一緒に飲みに行ったり。それでも、それからしばらくは、なんやかんや年に二回くらいですかね、会ってたのは。当時29歳くらいですね。93年です。たぶん。まあ、年は微妙です。
で、知り合って、二年目くらいのときに、千日前店を出店すると。二号店目で。そのときに、いろいろ聞かれたんですね。厨房機材のこととか、メニューのこととか、販促とか、求人のこととか。

野口:アドバイスをしたわけですね。

菅野:そうですね。それで、オープンのレセプションに呼んでもらって。ビール飲んで、「もも焼き」食べて。うまいうまいと。当時、大将と、三智ねえさんと、おかあちゃん、そして僕、4人でテーブル囲んで。当時レセプションといっても、今みたいではなくて、テーブルには小僧寿しの丸い大皿が並んでいて、料理もだすのは、「もも焼き」だけで、本当にお披露目会ですね。そこから僕は毎週客として飲みに行って、当時鈴木部長が千日前店の店長で、「よく飲む客だな」と、思っていたらしくて。

野口なるほど。鈴木さんは千日前から入社したんですね?

菅野:いや、蛍池店(一号店)からの社員で、千日前店出店のときのオープニング店長ですね。

野口:そこで、店長と客という立場で鈴木さんとも会っていたと。で、なんで、そんなに熱心に通っていたんですか?

菅野:まず、お酒が好きだったのと、まあ、単純に「もも焼き」のファンになったんですね。「もも焼き」「軟骨」「皮焼き」、この3つに、はまりましたね。これがもう、焼酎とビールに会うわけですよ。よく一緒に飲んでいた八百屋の兄ちゃんがいて、いつも彼と一緒に行ってましたね。二人とも「車」のファンになって、伝票は10枚くらいになるんですね。二人で二万くらい、一回で使ってましたね。

野口:ちょっと戻りますけれど、最初に入社した「B」は、法人化されていたんですか??

菅野:最初は個人事業でしたけれど、次女の旦那が入って来た時に「B企画」っていう、法人になって、結局そこからすぐに喧嘩別れして、「B企画」は本家において、分裂したほうの会社を「C社」という名前でやってましたね。

野口:じゃあ、C社で、当時働いていたと。で、お客さんとして「車」に通って、「もも焼き」大好きで、足しげく、千日前店に通っていたと。

菅野:そうですね。当時、別に焼酎もブームじゃなかったんですよ。

野口:いいところ、清酒ブームですよね。

菅野:たまたま僕は下地があって、A社(大手家電メーカー)の寮時代に、宮崎出身の先輩がいて、毎晩焼酎を飲まされていたんですよ。それで焼酎は、結構受け入れやすくて、そこで、「車」にいったら、「もも焼き」は宮崎で、焼酎もみんな宮崎でと。「あー、なんか懐かしいな」という思いもあって、しょっちゅう行っていたんですね。

野口:なるほど、もともと東北福島のご出身なわけですから、清酒文化の人ですもんね。それが、A社時代に宮崎文化に触れて。そして通っているうちに、顔も覚えてもらい、鈴木さんとも仲良くなって。

菅野:その年と、翌年のC社の忘年会は「車」千日前店でやりましたよ。

野口:なるほど。その当時のナンバー2だったんですよね、C社の。

菅野:まあ、現場のトップですね。会社には、社長がいろんな人を連れて来てはやめて、というのが繰り返されていたんで。財務部長とか。

野口:それで、いよいよ、「車」に入ろうと思ったきっかけは?

菅野:C社をやめますというご挨拶のお葉書をみなさんにだして、その仲に大将もはいっていて、それで、投函した次の日に大将から電話がかかってきたんですよ。「菅野君、やめるのかーー」って。そのとき、ちょど、二人目が生まれたときだったんですね。で、「まあ、いろいろありましたが、ちょうど二人目も生まれたんで、しばらくゆっくりしようかと思っています。」と。うち共働きで奥さんは自営で美容師やっていたんで、まあ、食っていくことはできたんですね。
で、大将が、まあ、久しぶりだし、俺も出向くからお茶でもしようやと。今でも覚えていますけれど、道頓堀の戎橋の横にある「コーヒーの青山」の一番奥の窓際の席で、大将とお茶飲んだんです。そこで、倒産前後のもろもろを、大将にお話して。まあ、大変だったんでしばらくゆっくりしますよと。大将も、大変だったなと、がんばれよと。
そして最後に大将が、「さすがに小遣いも奥さんにもらうのは気が引けるだろう。小遣いくらい自分で稼いだらどうだ」と。そうですねーと、けれどあんまり別に気にしてませんと。で、もしよかったら、週一回でもバイトにでもこんかと。まあ、当時タバコも吸ってましたし、タバコ代稼ぐつもりでやるかと、で、「お願いします」ということになって。「車」 蛍池店に入ったんです、アルバイトで。

野口:それがいつですか??

菅野:95年の年末です。阪神大震災の年の年末です。

野口:それが、入社のきっかけと。それは、大将の理念とか、想いとか、そういうのが動機というよりは、自分はまあ、仕事いったん休んでのんびりしようかと、小遣いは確かにいるなと、世話してくれるといっているし、まあ、いくかと。

菅野:当時、「B」でも、コンサルとか入れてたんですよね。それが結構致命的だったんですよね。一千万とか払っていましたから。あれがなければ、逆に良かったかもしれないですね。たぶん、100円お好みも、コンサルの入れ知恵じゃなかったんですかね。今振り返ると。
それとね、ある著名な先生、月刊食堂とかにでている、今でもお付き合いがあるんですけれども、先生からもお電話いただいて、やめてから、「菅野君、どうするんだ」と。僕も「もう疲れました、しばらく休みますよ」って行ってたんですよ。じゃあ、なんかあったら声かけるといわれて。それでね、いろんな会社も斡旋してくれたんですよね。大手企業にも行っていますよ。けどね、とにかく、就職、という感じには全くなれないんですよね。そういうときに、大将のバイト話がきたんで。まあ、バイトしながら、またいい話はあるだろうと、結構のんびりしていましたね。


野口:当時お子さんも二人いて、29ですか?それで、アルバイトと(笑)。

菅野:そうですね、産まれちゃったし。

野口:それで、蛍池店におはようございまーすと。

菅野:そうですね。ある意味、「B」の最初と同じような感じで、仕事は皿洗いからです。僕の感覚としては、お客でいつも食べていたので、職人というイメージだったんですね。お好み焼きとは違うと。いまさら、しっかり料理を勉強する気も無かったし、ハードル高いなと。けれど、まあ、少しずつ手伝っていったら、意外とできるなと。まあ、器用なんですね、そこそこ、やれちゃった、という感じですね。

野口:じゃあ、ちょっとずつ仕込みも手伝い、これもやり、あれもやりで、結構できるなと、持ち前の器用さが生きて。

菅野:そうですね。「車」に入社したときって、家の晩御飯当番もかってでて、店で習ったレシピを家でやってみて、奥さんもおいしいといって。結構料理に興味を持ち出したときですね。けれど、感覚としては「B」の時と同じなんです。
みんな年下。けれど「B」は、相手が18歳とか。今度は、相手は20代中盤。ある意味、自立して技術とプライドを持った年下の先輩。でも、同じ感覚でしたね。まずは、呼びづらいわけです。さん付けも変だし、君付けもちょっと。役職もあったりなかったり。まずは、それを半年、一年で普通に年相応の会話ができるようにしようと。そうなると、僕も早く技術を覚えて、店長にならないかんなと。そうして遮二無二やってましたね。

野口:でも、バイトですよね??

菅野:いや、11月にバイトで入社して12月には社員でしたね。

野口:それはなぜ??

菅野:大将の「押し」ですね。

野口:でた!!(笑)



オーナーと「想い」をすり合わせる





菅野:バイト期間は本当に一ヶ月無かったですね。嫁さんにはごめんといって。子育て任して。まあ、しょうに合うんですね。
僕のベースがマルチで培った24時間365日仕事というのがあるので、お好み焼き屋に入ったときでも、だいたい3時から、朝の7時まで、それが、楽だったんです。週に一回休みもあって、休みに何していいかわからないんです。飲みに行くしかないんです。「車」に入ったら、昼に出勤して、終電で帰れる。だいたい12時間くらい。楽でしたね。当時、5勤1休くらいでしたね、ローテーションが。そのときは大将もみんなに少しでも休みを多くと、途中で、3勤1休5勤1休なんて変則のローテーションのときもあったんですよ。そうすると、一日休んで、出勤して、後二日でたらまた休み、やること無くなるんですね、休みの日に。それで、休みの日に何をしたかというと、記憶では、ずーっと、大将とあっていましたね。休みのたんびに。で、何していたかって言うと、僕の想いと大将の想いをすり合わせていたんですね。僕は「B」で積み重ねてきたレシピとかマニュアルとかFCとか、組織、仕組みづくりですね、大将はまだ、二店舗しかないけれど速くそれをやりたいと。熱い思いはあると。理念はある、社訓はある、それを形にするにはどうしたらいいんだと。そんな二人の想いがちょうどぴたっとはまったんですね。

野口:なるほど

菅野:それで、まずは、日報からはじめましたね。山ほどある休みを利用して、ひたすら大将と話をして、仕組みづくりをしていました。そして一年たって、店長になって、仕切れるようになるじゃないですか、そこから具体的に、仕組みを深くしていったんですね。エクセル使って計数管理したり。

野口:入社して、年末で一ヶ月で社員になっていて、蛍池店にいて、一年後に店長。

菅野:半年は蛍池店、で、半年は、千日前店、ここでは、今の鈴木部長が店長。いろいろ教えてもらっていた。で、その後、江坂店の開業。ここのオープン店長。

野口:なるほど。



店長昇格。まずは、「営業中のビールはやめよう」



菅野:当時、まだ、会社ではなかったですから。オフレコ話ですが、普通に仕事中に、ビールを飲んで、仕事中なのに競馬新聞広げて、みんなで予想して、それこそ、なんだろう、大将がいない、客もいないとなると、もう、店も閉めちゃう。それが、普通の状態の会社のモラルだった。正直、僕もそれに染まっていた。楽だったんで。9時になると、勝手にバイトがビールを注いでくるんですよ。ひどいときは、閉店のときベロベロでしたからね。そういうものもありつつ、これを僕が一緒にやってたのでは、一年後、みんなから、「菅野さん」と呼ばせることはできないなと。けれど、こういうこと、勝手に息巻いてやっても、みんなついてこない。難しい問題。長いことかけてできた文化だから。どうしようかなあと考えていて、それで店長になった。店長になったからこそ、自分の店の風土を変えて、そこからほかの店に発信しようと。江坂店の店長になって、営業中のビールはだめだと。せいぜい、終わってからだと(笑)。まあ、徐々に。急にやると、反発食らうし。で、それをやっているうちに、電卓をたたいて、一日の生ビールの杯数を出す。社員5人で5杯、毎日のんで、一年間365日、それをお金に換算すると、結構な金額になる。それを自分の給料に換算したらどうだと。そういうのを考えて、

野口:自分で何気なく計算したんですか??

菅野:いやね、周りを説得するには、裏づけがなければだめだと思った。

野口:根拠が明確じゃないとだめだと。

菅野:生ビールを飲むのはモラルに反するからだめだ、では、「なんだ、こいつ、いい子ぶっちゃって」となる。生ビールをやめたら、それだけ会社に貢献できて、それが、これだけ自分の給料にかえってくんねんぞと。そういうところまでちゃんと説明しないと、人は理解しないし、行動に移さないというのは、マルチ商法でいろいろやってた中で、自分のベースとなっている。そういうので、たぶん、生ビールの杯数計算したりした。普通に仕入れでおつまみ買ったり、まかないなんてものすごい豪華でしたからね。豚のヒレを3本くらい買ってきて、今日はとんかつだとか、今日は暑いからそうめんだとか。

野口:会社の金で、売り掛けにして

菅野:そういう状態でしたね。一気に改革するのは無理。徐々に徐々にやっていかないとだめ。ある程度できてきた段階で、大将にも徐々にオープンにしていった。当時は大将も、現場にきて飲食しても、一切お金は払わなかった。個人で来て、飲んで食べても、いい時は褒めて、悪いときは怒って、お疲れさんで帰っていた。友達とこようが、家族とこようが、何をしようが払わなかった。
僕らとしては、結局僕らがビール飲んだり、まかない豪華にするのも、同じレベルに感じてしまうと。同じじゃんと。そこを何とかしなきゃいかんと。大将が給料をいくらもらっているかは知らないけれど、もっと、給料は取ってくれと。その代わり、お店にきたらお金はちゃんと払ってくださいと。結局同じじゃないですかと。そうすれば、現場もモラルや意識は高まるし、よいサイクルになりますからと。

野口:それを菅野さんが提言したんだ。



菅野:はい。それは、現場の総意でもあったわけですよ。大将が結構数字のことですね、原価率とか、厳しく言うと。けれど、大将が友達連れて来ても全部タダ。それでは、原価はあわせられない。そんな状況で、何度か、現場が大将にも言っていたらしいんですね。けれど、大将は、「何いっているんだと、俺の会社だし、俺のうちやし、遊んでいるわけちゃうと、味見だ!」と。だからその味見だといわれるとどうしようもないと。
それでも諦めずに、何かあったら大将にいうけれども、味見や、で終わり。何も変わらないんですね。これは、何とかしなきゃいかんと。で、なんかの会議のときに、杓子定規に「大将やめてください」というだけでなく、「現場もこうする、こう変わる。だから大将も、こうしてほしい。」と。我々としては、その分大将が給料取ってもらってかまわないと。
みんなの意識だし、そうすれば、我々も原価率なんかが自信を持って、それで守れなかったら、自分が悪いし、そんな話をして、最終的には大将も「わかった」と。ちゃんとお金は払おうと、で、領収書をもらおうと。大将もちゃんとお金を払うと。


第9話へ
# by kukanblog | 2007-08-08 17:36 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
思わぬ「お家騒動」、そして、多店舗展開→不渡り、社長の雲隠れ・・・・【第一回・第7話】
『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (第7話)




思わぬ「お家騒動」、そして、多店舗展開→不渡り、社長の雲隠れ・・・・


野口:入社当時で3店舗ですよね。

菅野:そうですね。そこから・・・6店舗くらいになったときに出てきたのが、次女の旦那なんです。もともと不動産屋をやっていて、お前ら、こんなんでやっていても会社は大きくならんぞと。まあ、経営者なんで「おれに任せろ」という感じで。いろいろ口出してきたらしいんですよ。そのときに、大元締めの、兄弟のお母さんと、会長なんですけれど、この次女の旦那と揉め始めて、ぐちゃぐちゃになるんです。
会長は大きくなることを「よしとはしない」と。次女の旦那は「これからの時代、大きくしないでどうするんだ」と。それで結局袂をわけて分裂したんですよ。鶴橋含め、最初の3店舗は本家というか、会長のもとに残って、それ以外のところを次女の旦那が引き継いで、会社が二つになったんですね。会長のほうが守る派。次女の旦那が攻める派で。で、僕は攻める派に入ったんです。


お家騒動から分裂した会社は、一気に多店舗展開を果たす。当時隆盛したFCシステムを「独学」で学び、FCオーナーの立ち上げに全国を飛び回る菅野氏には、自ずと経験、ノウハウが蓄積されていくことになる。





野口:それは自らの意思で?

菅野:はい。どっちにすると聞かれたんですが、やっぱり攻めるほうが面白いんで。三女のマネージャーもこっちにいたんですよ。順調に伸びていきまして、FCも始めて、北は関東・静岡にもあって、南は、下関まで。地方のFCは僕の担当。オープン前にオーナーさんは大阪に来てもらって、一ヶ月現場研修。その間に建築して、建築すんだら現場にオーナーさんと一緒に入って、オープンの研修、立ち上げをやる。オーナーさんの家に泊まりこみで。一ヶ月間。状況に応じて、延長して、最長三ヶ月。まったくの独学で。おいしいお好み焼きは焼けるけれど、教育とか研修とかまったくわからずに、全部やった。販促もまったくわからなかった。遮二無二やっていた。各地のオープンをそんな感じで関わって、帰ってくると、既存店から連絡あって、見に来てくれと。それもまた、泊り込みですよ。会社にお金も無いんで。ほとんど個人的に電話がかかって来て、一週間くらい泊り込みで行くと。


野口:当時で27歳くらいですか?

菅野:そうですね。ちょうど子供が生まれた時なんで。

野口:なるほど。

菅野:それで、バブルが崩壊して、100円マックが出た瞬間、うちの社長も間違って、「100円お好み焼き」とかやっちゃったんですよ。当時、なんばのNGKの1階とかにも店があったんで。繁盛していたんですよ。それを、もっと良くしようと。

野口:それは、次女の旦那?

菅野:そうです。今はデフレだからと。マックに乗っかって、「100円お好み焼き」ですよ。当然売り上げも半分ですよね。

野口:もともと売り上げあった、客数は目一杯だった、それを単価下げれば売上は下がるだけだと、単純な話だと。

菅野:そうなんですよ。それで、ぐちゃぐちゃになってきて、やればやるほど駄目になっていって、それで、最終的に、ばんさいしちゃったんですよ。

野口:倒産させたんですか?

菅野:まずは、一回目の手形が落ちないと。僕は経理とか全然わからなかったんで。経理の子が「社長と連絡が取れない」と。えらくうろたえているんですよ。「携帯は?」とかいっても、「つながらない」と。良く聞くと、「手形が・・・・」と。僕は「手形って何?」って話ですよ、当時は。「期日に手形が降りないと倒産するんだよ」と、「へええ、そうなんだ」と。「で、いくら足りないの?」って、「何百万円です」って。「そりゃ大変だ」というわけです。けれど、俺はお好み焼くしか脳が無いので、どうすることもできず、一回目の手形を飛ばして、でも、まあ、何とかなって、金策がついて。二回飛ばすと倒産ですよね。

野口:はい。

菅野:まだ、一回だから大丈夫だからということで続けていて、けれど、結局二回目も飛ばしちゃって、そのときから本当に社長が捕まらなくなって、よくよくふたを開けると、店の家賃は払っていない、事務所の電気ガス水道も払っていない、半年くらい。「おい、半年って言うたら止められるんちやうの」なんていっていたら「そろそろです」なんていって、パツン、と事務所の電気が本当に止まって。それでも、なんとか、社員、アルバイトの給料は払っていたんですよ。で、「どうなんだ、今月は払えるのか」と。「いや、通帳、残高無いです」って。「二回目も飛びました」と。
しょうがないから、自分の中で持てる知識を振り絞って、当時一応部長でしたから、実質の二番手ですね。全店長に連絡して「今ある会社の売上から、両替、公衆電話の小銭、全部会社へもってこい」「一切銀行へ入金するな」と。で、「業者が材料持ってきてくれるうちは、普通にやっておけ」と。とりあえず、営業はそのままやって、現金は本部に集めて、けれど、全部集めても、当月の給与総額の半分くらいにしかならなかったんですよ。半分しかないと。
しょうがない、「全員、給与半分」と、それを全部給与袋に詰めて、全員に事情を説明しながら配ったんですよ。

野口:へえええええええええええええええええええええ

菅野:事務所は電気もつかないですし、もうびっくりですよ、昼間でもこんなに暗いんだというくらい、暗いわけです。僕と課長と三人くらいで「どうすると???とても営業なんかできんよね」と。そのときに社長が僕らにだけ電話してきて、「お前らこれで何とかせい」と、200万くらいを預かって、社長は残った金策で、有限会社を別で作って、そこに一店舗だけ移して、切り離して、後は全部放り投げて、倒産、自己破産、会社清算です。それで、一店舗だけ切り離した会社を「菅野、お前やれ」と、一時期、代表取締役でやらされて、一店舗を切り盛りしていたんです。

野口:社長は逃げ切らなかったんですね。

菅野:隠れてはいたんですけれども、一応、逃げ切らずにいたんですけれども、僕らからすると結局は隠れているのも一緒なので。一番困ったのはFCさんなんです。「ロイヤルティーは、いらないです。しかし、うちもお金が無いので指導にはいけません」と。
そして材料ですね。麺も粉も、ソースも調味料もほとんど、オリジナルで作らしていたんでそういうのも、メーカーは製造ストップです。納品もできません。けれど、それでは困ってしまうので、メーカーさんとFCさんの間に入って、メーカーさんには「私たち直営店は煮るなり焼くなりしてください」と。「けれど、FCさんには罪は無いので、なんとか、現金払いでいいので、納品してもらえないか」と、全部のFCさんの間に入って交渉したんですね。FCのオーナーさんにも「屋号は好きに変えてくださって結構です」と。「今のまま続けるもよし、代えるのもよし、お好きにしてください」と。

野口:名前は「B」だったんですか?

菅野:「B」です。「とにかく自由です」と。「けれど、うちも、無い袖は触れないので、これ以上、何もできないです」と。けれど、そこは、オープンから泊り込みで一緒にがんばったFCさんなんで、逆に僕のことを心配してくれたんですね。ここは、うそは方便で、何とか一店舗銀行さんが残してくれたのでそこでやっていきますと。
そこからは、売上から支払いから全部僕が預かって、そこから社長は一切抜くことも無くて。それで、売上もどんどん上がっていって、その一店舗が。「お前らにも迷惑かけたから」と社長は口出ししてこなかったんですね。それで、なんとかボーナスも払えるかなという感じになって、「社員旅行でもいこうか」と、「みんな苦労をかけたし。家族があるやつは家族も連れてこい」と。会費は取りましたけどね。全部会社もちではないですが。
そんなときに、守り派の本家から、チャチャが入ったんです。「「B」の名前はうちの商標だと。何勝手に使っているんだ」と。

野口:でました、商標権問題!誰かに入れ知恵されたんでしょうね。



菅野:そうでしょうね。で、まあ、現時点で、もう、他人なわけです。一切の血縁も無いんです。本家は本家で、こっちの会社が飛んで、いろいろ迷惑は受けているわけですね、イメージとか。そこから、僕らなりに1店舗だけれどもがんばっているというのも、聞いているわけですね。僕らは、生きるために必死でやっているんですよ。喧嘩しようとしているわけでもないし。それを何を今更行ってくるんだと。
屋号変えなさいとか言ってきたんで「じゃあもういいです」と。「僕はもう、手を引きます。」と。残っている社員もいるし、そいつらで店は何とかなるし「あとはやってください。僕は辞める。」と。けれどね「条件として、社員には年末にボーナス払うといってあるので、それは確実に払ってくれ。」と。それで辞めたんです。
で、ボーナスのときに、社員に「ボーナス貰ったか?」って聞いたら「貰ってない。」と。「それは言え。」と、でも言っても「払う気はない。」と。だったらと、俺が乗り込んで「話が違うだろう」と。「だったら俺に退職金をよこせ!」と。貰ってなかったんで。「倒産を乗り越えてこの店を何とかやってきたんだぞ!!」と主張して、150か200万くらいぶん取って。そこからみんなにボーナスを出したんです。 

それから、業者さんとかお客さんとか、みなさんに、すいませんと、一身上の都合で退社しますとご挨拶の葉書を出したんです。200通くらいかな。その中の一枚に、今のイデアの大将が入っていたんですよ。

野口:へええええええええええええええええええええええええええええええええ

菅野:大将との出会いは、「B」からの付き合いで。今、うちの鈴木が入社15年目なんですけれど、僕は、大将とは入社前からなんで、17年くらいの付き合いなんですね。会社の在籍は二番目に古いんですが、大将との付き合いは一番古いんです。




第8話へ
# by kukanblog | 2007-08-08 17:34 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
人生の転機(2) 飲食業のイロハを学ぶ~外食人・菅野の根っこ【第一回・第6話】

『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (第6話)




なんとか脱出、そして、お好み焼きとの出会い


菅野:で、マルチの先輩のところにいって、「先輩、もうだめですよ。逃げてきました。」と。まあ、先輩もわかっているわけですよ。借金のかたで済まなかったなと。で、そこから、その先輩の手伝いをチョコチョコしてたんですね。
そのときに、僕が一番お世話になっていた先輩が、鶴橋のお好み焼き屋の二代目だったんですけれど、その人は、先にマルチをやめて、お好み焼き屋を継いでいたんですよ。当時マルチの手伝いもしてたんですけれど、そんなに忙しくはないんですね。僕としては、A社にも入り、そこから自分の道は、なんていいながらマルチ商法を始めて、結果も出しつつ、こんなんですけれどもね、自分なりに起業欲なんてのも目覚め始めているときだったんですけれども。
僕は東北人なんで、お好み焼きなんて、お祭りの屋台のイメージしかないんですよね。まあ、はっきり行って、下に見てたんです。感覚的に。けれど、せっかく世話になった先輩に声をかけてもらったんで、まあ、皿洗いでもやろうかと手伝ったんです。そこで、初めて賄いでお好み焼きを食べさせられたんですね。そこで、もう、感動したんですよ。お好み焼きに。こんなにうまいんだと。すごいなと。





そこから、先輩に言われるたびに、手伝いにいったんですよ。マルチが休みのときに。お金ももらえるし、お好み焼きも食べれるし、少しずつ、焼いたりもして、そこで、お客様が僕のお好み焼きを「おいしかったよーーー」って。

野口:お客様が反応したと。

菅野:そうなんです。もう、うれしいわけですよ。自分の作ったお好み焼きでお客様が反応した。おいしかったなんて言われた事ないですからね。そして暫らくしたら、今度はお客様から、「お兄ちゃん焼いてや」って、ご指名がかかったんですよ。「この前、お兄ちゃんが焼いてくれたやつがおいしかったから、また焼いてや」と。判りました、と。気合を入れて焼くわけです。これ、中々楽しいなと、目覚めたんですね。
そのときを今振り返ると、A社(大手家電メーカー)というのは、単なる製造現場で作っているだけなので、アルミと銅版と白金がこうなっているという図面をプログラムでうまいこといくように修正したりする仕事で、果たしてそれが、最終どんな製品になっているか、デジカメなのか、パソコンなのか、全然わからなかったんですよね。ただ、やるべき作業をしているだけなんですよ。
当然買っているお客様の顔も見えませんし、売っている人の顔もわかりません。お客様の満足度もわからないわけです。で、マルチ商法では、羽毛布団は軽くてねーーとか、ダイヤとか、船とか、絵画とか、製品の良さで売っているつもりでも、結局、ふたを開けてみたら、100万円のダイヤモンドが、リベートや会社の取り分なんかをいれたら、原価なんて、たいしたことないんですよ。極端な話、くずみたいなものを口八丁手八丁で売るわけです。どんな商品でも変わらないんです。本当にいいものなのかなと。


野口:疑い始めちゃったと。

菅野:当時、口だけで何でも売れる自信はありましたけれど。でも、本物を売らないとだめなんだろうなと。で、そのお好み焼き屋さんで体感したのは、目の前でキャベツを切って、原材料もわかって、粉も練って、卵もその場で割って、混ぜくり返してつくっているところも見てもらい、出来上がったものを、売って、買ってもらって、買ってもらったものをその場で目の前で「美味しい美味しい」と言ってもらって、食べてもらって、その場で集金もして、で、「お兄ちゃん、またくるよ」と、リピーターにもさせてと。もうその、お店にいるお客様の二時間くらいの中に、A社でやっていたことや、マルチ商法でやっていたことは、すべて凝縮されていて、さらにそれ以上の世界がそこにはあったわけですよ。飲食の世界には。これはおもろいなと。

野口:なるほど

菅野:ということで、マルチ商法から一切手を引いて、僕は飲食のお好み焼き屋の先輩にお世話になりますと。これは、平成3年。25歳。

野口:なるほど。短い間に、いろいろやっていますなあ。

菅野:本当に、高校卒業から、ここまでの6年は、すごい6年なんですよ。

野口:いや、本当に。


「商品開発・製造・営業・販売・決済」と、メーカー、販社機能を小さいひとつの箱で完結する「飲食店」という魔法の虜になった菅野青年。激動の20代前半をマルチ商法に捧げて、「生き方」の基本を学んだ。ここから本格的な飲食業での活動が始まる。


野口:お好み焼きの鶴橋「B」に入ったわけですね。そういう機会で。何坪何席の店だったんですか?

菅野:カウンターが詰めつめで6名、4名テーブルが4つ、二名テーブルがひとつ、24席ですね。坪数は、15坪位ですかね。

野口:まさに「かんろ」と、同じくらいの大きさ。


※「かんろ」・・・株式会社イデアの新業態「鉄板や かんろ」(大阪・天神橋6)。http://r.gnavi.co.jp/k021908/
「車」「とり神楽」に続く戦略業態。




菅野:そうですね、あれより小さいですね。当時はバブル前で、結構いい時期だったんですね、景気も。あんなお好み焼き屋さんでもランチから朝五時まで営業してたんですけれども、それで、一日50万、60万とか、毎日売っていたんですよ。

野口:すごいですね!!

菅野:すごいんですよ、本当に。

野口:客単価は?

菅野:客単価は、2800円とか、3000円くらいじゃないですかね。普通に、二時間町三時間待ちは当たり前で、鶴橋の千日前通りがありまして、常に車が15台くらい待っていた。で、車のナンバープレートを書いた、ウエイティングカードを作って、それを渡して、みんな待っているんです。二時間でも平気で。

野口:大阪にも関わらず。

菅野:そうなんです。

野口:もともと菅野さんが入る前からそうだったんですか?

菅野:入る前からそうでした。大盛業店です。

野口:存在自体は知っていたんですか?先輩に関係なく。

菅野:先輩の店だというので、知っていて、お土産でなんどかいただいて、本当においしいなと。店は今も同じ場所にあります。リニューアルはしていますが、味は同じです。売り上げは以前ほどではないと思いますが。今度やる「かんろ」は、ここの経験がベースです。

野口:へえーー

菅野:僕が入ったときは、3店舗。鶴橋で勉強して途中で別の店の店長に。一番小さい店でした。20席無いですね。17時~翌3時の営業時間で、40万とか売ってました。そういう時は5時からずっと満席。こうなると、ウエイティングのかけ方と、片付けて、座ったら、すぐに料理が出ないといけないんです。店の「まわし方」。これが肝です。ウエイティングがかかると、時間を読んで、並んでいるお客さんに先にオーダーを聞く。そして、時間を見計らって、焼き始める。食べ終わりそうなお客さんの様子をみながら、焼き始めちゃうんです。並んでいるお客さんのも。で、もう焼けると、そうなると、お客さんは食べ終わっています。そして、少しゆっくりされていると、「申し訳ありません。次のお客様が待っているんで」といって、帰ってもらう。それが許される時代でした。お客様もわかったわかった、って感じで。とにかくすごい行列なんで。それで、会計して、鉄板片付けて、お客様が座ったら、ハイお待たせと。すぐに、お好み焼きが出てくる。もう、その繰り返し。

野口:繰り返しになるかもしれませんが、外食産業に入りたくて入ったんですか??

菅野:入りたくて入ってないですね。先輩に無理やり、洗いもんだけでいいから手伝えと。昔は世話してやったよなと、人も足りてへんねんと。

野口:まあ、電話番も飽きたしと。

菅野:そうですね、

野口:そうして外食産業に飛び込んだと。当時25?

菅野:はい。

野口:それまでは、地元福島で高校生のときにびっくりドンキーでバイトしていたくらいですよね?外食の経験って。

菅野:そのときも、別に外食産業が好きなわけではなくて。あくまで、お金が目的で。料理が好きでとか接客が好きでとかではない。時給×時間。友達来たら大盛りにするし、バイトの友達と遊び倒して。

野口:そんなこんなで、外食産業へ飛び込んだと。なるほど。で、鶴橋で洗い場から。

菅野:洗い場やって、はじめてキャベツ切り始めて、裏方からですね。

野口:で、自分で焼いてみーやっていわれて、焼いてみて、お客さんに出したもので、喜んでもらい、感謝もされ、金も貰い、また来るねと言われて、また来ると。指名は懸かるわと。こんなにおもろいものはないと。

菅野:本当に鳥肌が立ちましたね。今までの経験ではない、人生経験だったんですね。マルチでも布団買った人が、また頂戴なんてことは無いんです。くるのはクレームばかり。売ったものに喜んでもらったり、褒めてもらったりなんて皆無なんです。それが、こういう世界があったんだと、出会いがあったんですね。

野口:で、鶴橋本店で修行し、超繁盛店だったので、回すこと、段取り、効率、仕組みを考えて、要領よくやっていたと。





飲食業のイロハを学ぶ~外食人・菅野の根っこ


菅野:そのときのマネージャーがいるんですけれど、まあ、社長ですね、今でも焼いていますけれど。その社長の妹さんがいて、「接客とはね」とか、飲食業界のイロハをその人に教えてもらったんですよ。いまだに、そのとおりだなと思っていることあります。
「一組一組じゃなく、一人一人じゃなく、一品一品に対する想いだよ」
「一日の仕事じゃなく、一時間の仕事じゃなく、一分じゃなく、その瞬間の仕事だよ」という言葉。ずーっとこれを言われていたんですよ。今うちの大将も言いますけれど、100人前焼いて、そのうち1人前くらいは手を抜いてもいいわなんて絶対にいかんと。僕は、その当時から聞いているんですね。100人前一日焼くと、その中の1人前が、まあ、ちょっとはいいかなと妥協して出すと、それを食べる人にとっては、それが、「B」の100%の料理になるんだよと。だからその日一日焼いたではなく、その1個1個、1枚1枚に対して、常に100%の思いで接客をし、調理をし、仕事をしなさいと。それが今でも僕の根底にあります。

野口:なるほど、

菅野:おかげさまで、順調にすごしまして、入社したときが、僕は一番年上なんですよ。全部年下の店長、リーダー、主任。まあ、みんな生意気で、僕が25で、やつらは、10代。大体が。それで、僕のことを、それこそ、年食ったやつが、後から入ってきたぞと。こき使っとけと。こいつらどうしたろかなと考えましたね。自分の中で決めたのは、一年でこいつら全員に「さん」づけで呼ばしてやろうと。当時は、敬語で呼んでいましたよ。僕は「かんちゃん」ですよ。一年で「菅野さん」と、呼ばせてやると。それで、一年たって店長になったんですかね。

野口:そのとき、なぜ、そういうふうに思ったんでしょう。認めさせようと?仕事振りを?

菅野:そうでうすね、あと、結局、俺こいつらに敵うものってなんだろうと?初めて飲食に入って始めて粉練って、始めてテコもって。勝てるもの無いなと。唯一勝てるとしたら、この5年の濃い、人生経験だなと。
別にくそ生意気でも、悪い子たちじゃない。一生懸命料理して、何とかお客様に喜んでもらおうというベースはあるので、この子らに、そういう部分(大人としての常識、見識、経験)を身につけることができたらこいつらは、絶対に良くなるだろうと。
A社の時は組織がいやだったんですよね。組織の歯車のひとつとして働いて、人生終わってしまうのがいやだった。それで、マルチに入って組織ではなく、自分が全体を動かすような形になりたかった。
ただ、よくよく考えると結局ひとりでは大きな歯車はまわせない。福島で有限会社を3つ作って、そいつらに全部やらせながら、よしよしと、結果として、自分で組織をつくっていたんですよね。
そうかと。A社に入ったときは気付いていなかったけれど、本当に大きなことを成し遂げるときは組織なんだと。組織をつくることが結局は最終的なゴールというか、自分の夢、目標を成し遂げるための近道なんだなと。じゃあ、マルチで学んだ組織のつくり方、人材の育て方をこの若い子達と一緒にやれば、お好み焼きは美味しいんで、絶対この会社は大きくなると。よくなると。
それで、一生懸命がんばりました。A社で否定した組織をつくろうと。ただ、この店には組織なんていうものは無かったんですね。女性マネージャー以下、みんな横並びなんですね。マネージャーの人柄だけで、納まっていたんですよね。いい人だったんで。
ただ、それだと、3店舗が精一杯。これが4店舗5店舗となっていこうとすると、マネージャーは、ひとつの店でずっと焼いているわけに行かなくなるじゃないですか。目が離れる、モラルが低下し、商品がぶれる、そうならないためには、組織だと。

野口:なるほど、そういうことに気付き、行動したと。

菅野:会社で実験ができたわけですね。一年たって店長になってからは結構可愛がられて、提案したことは何でも「やれやれ」と。アイデアを出すと、「よしやってみよう」と。マニュアル、レシピ、日報など、いろいろやりましたね。入ったときには、日報もないんです。本当に個人経営代表。日報なんか作ったら、売上あげな、いかんやん、税金払わないかん、てなるやん。って。

野口:ちなみに、マニュアルとかレシピとか、そういう言葉って、どこで学んだんですか??

菅野:そうですね。当時のマネージャー、社長の妹。この人が勉強熱心で。いろいろ教えてくれた。完全な家族経営で、5人兄弟で、長男が一人であとは全部女。この長男にマルチ時代にお世話になったんですが、この人は、好き勝手放浪して、その間に女4人がしっかりとお好み焼き屋を盛り上げていて、で、社長が戻ってきたと。三女が、マネージャで、なかなかできる人で、僕もいろいろ教えてもらった。「飲食店経営」とか読ましてもらって、セミナーとかにも連れてってもらって。

野口:知識をつけて




菅野:そうですね、基本的に独学でしたね。やっぱり、A社でも、マルチでもそうですが、仕組みがないと進まないんですね。僕からすると、マニュアル、レシピも仕組みの一部なんです。何とか仕組みをつくらなきゃと。だから、朝きたらこうしようとか、お好み焼きを焼く手順はこうしようとか、仕組みを体系化して、今で言う「可視化」して、共有してということを、我流でやったんですね。それをマネージャーに渡すと、「そうね」と。今まで自分が口伝えでやっていたけれど、こういうのもいいねと。だったら写真つきで作ろうかとか、何しろ何も無かったので、トントンと進んでいって、そこから店舗も増えていきましたね。



第7話へ
# by kukanblog | 2007-08-08 17:30 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
借金のかたに、や○ざに身売り【第一回・第5話】
『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (第5話)






借金のかたに、や○ざに身売り



野口:菅野さん自身が??

菅野:はい。心斎橋だか、堀江のあたりに、や○ざの事務所があったんですよ。その事務所に売り飛ばされたんですね。や○ざに借りた借金のかたに。で、その事務所の電話番を4ヶ月くらいですかね、やってましたよ。

野口:へええええええーーーーーー。



菅野:僕と、仲のいいメンバー3人で。や○ざも人材不足で、人がいないんですよ。マルチの会長はお金がないんで、や○ざから借りちゃったんですね。けれど、金利も払えないと。そしたらや○ざも、じゃあいいと、お前のところの若いやつを3-4人連れてこいと。で、電話番しとけと。で、とりあえず行って、僕らは普通のビジネススーツじゃないですか、そしたら「そんなんあかん」と。それでひとり5万円ずつ渡されて、それっぽいスーツを買わされて、そこからそこで寝泊りですよ。

野口:へええええええーーーーーー。

菅野:そこで、ちゃんと朝飯も作って、役割分担決められて、親分をマンションに毎日迎えに行くやつもいれば、朝飯作る担当もいれば、僕は基本的に電話番の担当で、また、この電話番が一番うっとうしいんですよ。「○○○○組」っていうんですけど。「はい、○○○○組!」って、結構、ドスを利かして電話にでないと怒られるんですね、まずは。で、「おう、俺や!」って、みんな言うんですよ。俺や、って言われても判らないですからね、どこの誰だか。けれどそこでちゃんと、「どこどこの兄貴!」って答えられないと、ものすごく怒られるんですよ。「俺の声がわからんのか!」となるわけです。

野口:一番難しい仕事じゃないですか。

菅野:まあ、一応はローテーションなんですけれども、まあ、それを主にやっていたんです。けどね、結構楽しくなっていくんですよ。裏方の世界がわかるとね。

菅野:親分とか、すごいんです。親分目当てに、いろんな人が出入りするんですよ、金持ち目当ての営業マンが。この株買うと儲かりますよとか、3000万くらいのピアジェのオールダイヤの時計持ってきて、親分はまたそれを、いいね、とかいって、ドンと現金で買うわけですよ。いろんな人がきて、すごいなこの世界も、と感心してたんです。若手の組員もいっぱいいるんです。最初のうちは「お前たちは一般人だから」と、一線を引かれていたんですけれども、だんだん仲良くなっていって、いろんな話とかを聞くわけですよ。

「なんで、や○ざに入ったの?」とか。そしたら、結局、みんな借金で、とか、金返せないから、ここから逃げられないとか、ちょっと仲良くなって、親分から「お前、今度デートだろ、だったらこの車使え」なんていって、親分のでっかいベンツとか借りちゃうわけですよ。ヨッシャーで、息巻いてそのベンツでデートに行って、けれど、でかい車に慣れていないから、擦ったりするわけですよ。そうすると、一生や○ざですよ。もう、そういう勧誘の仕組みは出来上がっているわけですよ。そこで、もう、金は借りんとこう、車は乗らんとこう、など、や○ざの事務所でいろんな知恵がついていくわけですね。
で、一緒に来た仲間の3人のうち、ひとりは、や○ざに染まっちゃって、彼は、事務所に残ったんですよ。まあ、最終的にはやめたらしいですが。で、もう一人は運転手させられていて、それでも、ぶつけたら終わりですからね、もう、ものすごい大変だと。その彼と、僕で、もうあかんなと、もたんなと。で、一応お手紙を書いて「申し訳ございません」と。

野口:逃げたわけですね(笑)

菅野:逃げさせていただいて(笑)(笑)。


第6話へ
# by kukanblog | 2007-08-08 17:28 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
「マルチがバレて、」A社退社/マルチ商法にのめり込む【第一回・第4話】
『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (第4話)




「マルチがバレて」A社退社/マルチ商法にのめり込む


野口:なるほど。ちなみに、その時マルチで何を売っていたんですか?

菅野:羽毛布団。あと、磁気マットレス。

野口:王道ですね(笑)

菅野:王道ですね(笑)。自分で買ったら権利がもらえて、二人に紹介して、その二人が売るとなんか、ワンランク上がって、自分とその二人で三人になるじゃないですか、その三人で4つくらい売ると・・・・、まあ、そんな感じで、どんどんランクアップを目指すわけですよ。結局、通帳を見て、自分の給料くらいとか、それ以上に入金がされていると。しかし、それは、裏を返せば、自分が買った分のリベートが戻ってきているだけで、その辺は錯覚なんですよね。

野口:今だから言えるけれどもと。

菅野:そうですね。

野口:その当時は「すごい!」となってたわけですね。

菅野:そこからは、それ一本だったので、会社のつては使えない、そこで東京に来ている田舎の友達とか、友達の友達とか、頼っていって。また、すでにその時点で自分には部下がいたんですよね。実績を上げていたんで。その子たちと一緒になって、どちらかというと、自分もやりながら、今度は自分も「アテ」がいないもんだから、その子らをいかに上手に動かすかということでしか、給料がでないわけですよ。

野口:当時菅野さん、20歳ですよね?で、下の子達というのは。いくつくらいだったんですか?

菅野:だいたい同じ年くらいですね。19歳から、上は23歳くらいまで。で、19歳だと、「サラ金」にもいけないんですよ。

野口:なるほどね。

菅野:だから、A社にいた当時は社内預金を取り崩すしかなかったんですよ。だから、あとはもう、一緒に、その子の実家に行って、ご両親と会って、「僕とこの子でこの商売をするには50万円必要なんです!お父さん、お母さん、なんとか協力してもらえませんか!」って、一緒にお願いしに行って。頭下げて。そうやって、現金を調達するわけですよ。で、現金貰ったら、右から左へ入金するだけなんですけども。そんなんを続けていて、19歳のときは。

で、20歳になるといよいよ「サラ金」解禁ですよ。


野口:大人ですよと(笑)

菅野:そんなんで、続けてて。

野口:A社時代は川崎で、寮生活。

菅野:はい。

野口:一年半。で、やめてからは??

菅野:やめて、マルチの先輩、東京エリアの「販社長」がいて、その人が品川にいたのでそこに転がり込んで。家賃もかからないし、飯も食わしてもらえるし、販社長が面倒見てくれるわけです。生活には困らずに営業活動ができるわけです。
ですから、そこから、僕の人生は365日24時間仕事をしているんですよ。休みがないんですよ。結局住んでいる所が職場なので、寝ていても誰かがゲストを連れてくるわけです。引っ張り込もうとする人を。そうすると一緒になって起きて、着替えて、夢を語って、熱くさせて、なんとか、こちらに引き入れようとするわけです。
で、毎週日曜日になると、会議室を借りて、販社長がホワイトボードにいろいろ書いて、教えてくれるわけです。僕らもその話を聞きながら「いづれ自分もこんな風に、話をするんだろうな」と思って、まとめていましたね。それで、まあ、僕もそれをゲストに話しをするんですけれども。
そういえば、うちが使う「ABC接客」もまさしく、マルチのネタなんですよ(笑)。
マルチでは【ABC※商法】って言ってたんですけれども。


※ABC(えーびーしー)
素人を引き込むためのマルチ商法の勧誘テクニックの1つで、ファミレス長時間拘束勧誘の元。
事情に詳しい第3者A(Adviser:アドバイザー)、勧誘者B(Bridge:橋渡し)、被勧誘者C(Customer:客)のうち、A-B間は知り合い、B-C間は知り合いという関係で行う勧誘。
Cに対して詳しい説明はAが行い、BはひたすらAを「すごい人」といって持ち上げる(T-upという)ことで、あたかもAの話すことが重要で価値のあるものと思わせることと、見ず知らずの第3者の言うことには反論しづらいという心理を利用。





菅野:当時バブル全盛で、○○○とか、□□□の現金商法とか、△△△という、簡易な浄水器とか。△△△は、500円売価。リベートが150円。500円で始められるってんで、結構広まりました。
自分がいた組織もどんどん大きくなっていって、組織の会長という人がいるんですね、K会長って、今でも九州あたりでなんかやっているみたいですけれども。その方が、ある程度業績のいいやつを引っこ抜いて、エージェントスクールというものを開いて、そのエージェントスクールを二週間やった中で、そのメンバーを地方へ飛ばして、地方で組織を活性化しながら、全国展開しようなんて、壮大な計画があったみたいなんですね。そのスクールのメンバーに僕が選ばれたんですね。あいつは中々がんばっていると。僕の田舎は福島なんですけれども、福島だったら誰もまだ手をつけていないから、

野口:取り放題だと!

菅野:そうそうそう(笑)。で、まずは、結局福島の担当としてエージェントスクールに入れられたんですよ。当時、鹿児島、福岡、名古屋・・・・たぶん13名くらいのメンバーが各地の担当としてスクールを受けたんですね。徹底して叩き込まれたわけです。

野口:エリア攻略してこいと。

菅野:その勉強の内容が何かというと、理屈理論ではなく、精神論なんですよ、すべてが。「やったらできる!」と。

野口:自己啓発だ!

菅野:そう。完璧な自己啓発で。お前らにできないことは何一つないと。もう洗脳させられて、「よしいけ!」で、ケツ叩かれて、地方へポンって行くわけですよ。片道切符ですからね。僕はたまたま実家がありましたけれど、あるメンバーは、確か岐阜に行かされた子なんですけれども、岐阜に実家はないと。友達も誰もいないと。どうやってそんなところで活動するんだと。けれど、「やれないことはない!」と会長は言うんですよ。
で、各地で活動が始まって、月に一回成果報告会があるんですね。そこで岐阜の担当も報告するんです。彼は、岐阜で毎晩、車で寝泊りしているんですよ。
で、何をしたかというと、毎日同じ喫茶店で同じ時間にコーヒーを飲んでいたらしいんですよ。朝は8時にどこ、昼は12時にどこ、夕方は16時にどこって。店も時間も決めて、毎日そこでコーヒーを飲むと。まずは、マスターと仲良くなる、そしてお客さんとも仲良くなる。一ヶ月くらいで常連みんなとも仲良くなれると。仲良くなったら満を持して、自分のやっていることを話し始めるわけです。そのやり方で岐阜の彼は実績を上げてきているわけです。
そうなると逆に僕らは、「お前ら地元に帰って、何をしとるんじゃ!」となるわけです。何の地縁もないこいつが岐阜に飛んでこんだけ実績を上げとるのに、どうなっとんじゃと、はっぱかけられて、それで「ヨッシャー、なにくそ!」となるわけです。それでまた福島に帰ってがんばるわけです
月に1500万円の売上を3ヶ月達成すると、販社長の資格がもらえるんです。もし連続1500万円が無理でも、3ヶ月トータルで4500万円売ればOKみたいな感じで。僕は最初1200万くらいで、それが二ヶ月続いて、でも、それで、三ヶ月目に2000万円くらい売れば、何とかなるぞ!って時に、三ヶ月目で1800万くらいで、ちょっと届かなかったんですよ。そのときに東京でお世話になった販社長が「ヨッシャヨッシャ」で、まあ、助けてくれたんです。売上をつくってくれたんですね。それで、結局3ヶ月4500万円をクリアして、販社長になることができたんです。

野口:ほお。

菅野:で、販社を立てるときに、会社から「リーダーになりなさい」と。そのとき自分には部下が30人くらいいたんですけれど、その30人の仲で、3人くらい目ぼしい子を捕まえて「お前ら、これから俺のように販社長を目指せ」と。で、「有限会社を作りなさい」って言われて、3つ有限会社作って。マンションも4つ借りていたんですけれども、一人で。

野口:その当時おいくつですか?

菅野:21歳くらいですね。そこに、30人住まわして、家賃、水道光熱費も全部僕が払って、まあ、田舎だから安いんですけれども。一軒家借りても6万円くらいですかね。それで、4LDK。まあ、そんなところですから。そこから彼らも販社長を目指そうとがんばって、結構伸びたんです。そのときに、他社の○○○が叩かれて。とにかく、それをきっかけに一斉にマルチが「終わった」んですよ。




野口:マルチが

菅野:マルチが終わったんですよ。で、終わった瞬間、僕も終わったわけですよ(笑)。
結局、あのマルチは、ブームだったんですよ。バブルの崩壊と同じようなものですよ。もう末期は、友達がゲストを連れてサラ金に行くわけですけど、そうすると、サラ金には、僕の顔写真と主たるメンバーのフルネームを出されて、この方ご存じないですか?と、店頭で聞かれるわけです。この方の関係の方への融資は一切お断りしておりますと(笑)。

野口:ブラックリストに載っちゃったんですね(笑)

菅野:そう。けれど、まあ、落ち着いたもんで、事前にキャッチしてて、ゲストには、「サラ金いくと、こういう風にいわれるけれど、何も気にしなくていいんだよー」って、やさしく伝えて、綿密な打ち合わせをして、対処させるんです。

野口:なるほど

菅野:でもそれが、何ていうんでしょう。そういう手口がテレビや新聞、週刊誌なんかで出ちゃって、結局みんなやっていることは一緒だと。仕組みまで事細かにテレビで報道されていましたから。親からも連絡もきたりして、結局、みんなやめてって、最終的に30人いたメンバーが4人くらいになって、僕もいれて5人が残ったんですが、住むところがないんで、実家に転がり込んだんですよ。うちの家が小さな貸しアパートなんですね。で、お袋に、いままで外に住んでいたけれども、お金ないから、アパート一部屋貸してと。ワンルームに5人での共同生活が始まったんですよ。

野口:男ばっかりで



マルチ商法の崩壊/どん底に・・・・


菅野:そう。男ばっかりで。マルチの会社は大阪本社の会社なんですけれども、連絡してもクレーム対策でてんやわんやで、僕らのような地方のことなんて構ってられないんですよ。「お前らはお前らで何とかせい!」くらいの話で。
じゃあわかったと。とりあえず飯食わないといけない。みんなで何とかしようと。そのときに、家のホームサイジングという営業の仕事があった。これも、如何わしい商売で。車で田舎町に行って、一軒家とか見ると、土壁で、もうひびとか入っていたりするじゃないですか、そういう家に飛び込んで、「近所で工事をやっている○○建設のものですけれど、おうちの前通りかかったら、なんか壁がひび割れているもんだから、気になったんで寄らしてもらったんですけれども、ご主人様ご在宅ですか?」って声をかける。そうすると田舎の人は大体出てくる。それで世間話とかしながら、「この壁、あと3年くらいたったら、結構大変ですよ。今なら、私たちがあっちで工事やっているんで、材料代だけで手間賃省いて工事できるんで、もし良かったら、工事して差し上げましょうか?」なんてもちかける。実際近所で工事なんてしてないんですけれども。そういう飛び込み営業をずっとしていて、それで何とか食いつないでいたんですよ。
それでも、仲間が別の仕事をすると言って、一人いなくなり、小さい町なんで、噂もすぐに広まりますし、たまには同級生にも呼び出されて、「お前らいい加減にせえよ」なんていわれるし。マルチ仲間には当然サラ金から借りさせていたわけですから、そいつらからの追い込みもあるわけですよ。「菅野君、誘ってくれたのはいいけれど、この借金どうすんの?」って話ですよ。会社は終わったわけですから、当然売れないですし、売ったって、お金は入ってこないですから。ですからそこからは、「いやいや、この商品はいいものなんだ。50万円の価値があるから買ったんでしょ?」と。

野口:50万円の羽毛布団で寝たらええやないかと(笑)。マルチがはじけた当時でいくつですか??

菅野:22歳くらいだと思います。このときが、どん底です。

野口:このときは借金はなかったんですか?菅野さん個人は??

菅野:いやいやいや。当時僕たちはPTAって呼んでたんです。プロミス、アコム、武富士。「おーい。PTAいってきたか?」なんていっていたわけですよ。まずは、PTAからすべて50万円ずつ。これは基本です。また、当時のカードローン。A社にいたんで、そのときにカードを作っていたんですよ。A社の社員証さえ持っていけば、どこでもカードは作れたんですよ。で、わざわざ、やめたなんていわないですからね。カードローンだけで、400万はありましたね。そのほか、街金にも手を出しましたし、友達からも借りてて、結局、1000万は行かないくらいですかね。それくらいの借金はありました。
で、4人いた仲間も結局は一人減り二人減りで、最後は僕一人がポツンと残ったんですよ。まあ、ただ、実家なので。このままやっててもしょうがないななんて思いながら。で、大阪本社では、虎視眈々といろいろやっているわけですよ。生き残りのために残党組みが、情報だけは入ってくるんですよ。

野口:当時 携帯はないですよね。

菅野:固定電話ですね。それで、本社から新しいモノが送られてくるわけです。
今でもありますけれど、ゲルマニウム温浴。これを20年前にやっていたんですよ。手と足を温めて発汗しますよ、健康ですよ、みたいな。それを本社が送ってきて、これを自宅においてショールームにして売れと。一台は無料でやるからと。で、届いて、とりあえずやってみるわけです。なるほどねーー、と。体感するんですね。これは、布団でもなく、高そうな機械なんで、これはいけるかも!って、またやりだしたんですけども。
まあ、大して売れはしないんですね。だめだなと。で、もう、やめよかなと思ってたんですよ、相当悩んでたんです。

そんなときに電話がかかってきたんですよ。相手は本社のK会長、胴元の親分ですよ。直でかかってきたんです。で、僕もびっくりして、「大丈夫か?」なんていわれて、「はい、福島でがんばってます!」なんて、答えちゃうわけですよ。「そうか、今、白浜にいるんだ。和歌山の。ちょっと今からこっちに来ないか」と。会長の誕生日を白浜でみんながしてくれていると。それで、幹部連中から菅野君が福島でがんばってくれていると。エージェントスクールの一期生の菅野君が。大変しんどい思いをしてがんばっていると聞いたから、電話をしたんだと。で、僕も、わかりました、とは言うんですが、「今すぐにはちょっとーーー」となるわけです。「なんだ、金のことか?」と、すぐにばれるわけです。電車代もないんですね。そしたら、会長は「わかった」と。とにかく、くるだけの電車代は何とか確保しろと。そしたら、帰りの電車代は面倒見るからと。二泊三日のパーティーだったんで。その初日で、すぐに行かないと、終わっちゃう。明日すぐ電車に飛び乗って白浜までいらっしゃいと。当時福島から、電車で羽田まで行って、羽田から南紀白浜までYS11で飛ぶという。

野口:東亜国内航空ですね。

菅野:そう。それで行ったわけです。南紀白浜へ。会場着いたら400人くらい大広間にいて、ちょうど宴会が始まるころで、「よくきた」と、迎えられて、そしたらなんか、会場に入る前にロビーに座らされて、説明を受けるんですよ。幹部から。
今から会長の誕生日祝いだと。最終日の食事会だと。お前、わざわざ福島から来たんだから一発しゃべれと。まずは、会長に対するお祝いのメッセージと、400人いるメンバーというのは、まさに、今、新しくやっているマルチのゲストだと。

野口:ほお

菅野:ゲストに対するはっぱをかける意味でも、福島から飛んできたというのはものすごいモチベーションが上がるんだから、ちょっとがんばってくれよと。

野口:(笑)

菅野:それで、浴衣に着替えて、もう、400人みんな会場に座っているんですよ。それで、上座のほうに座らせられて、で、会が始まったわけですよ。で、まずは、会長登場ですよ。「みんなありがとうね」と。
そして各幹部のお話があって、その合間に、「今日はわざわざ、東北福島から、会長の誕生日のために、飛行機でやってくれた者がいる。販社長の菅野君から、会長へメッセージを」となって。壇上に上がらせられて、「会長おめでとうございます」と。一通りのお祝いコメントをして、「今日は、半分はゲストの皆様だと聞いております。我々の商売の想いと、仕組みは・・・・」なんてまた始めちゃうわけです。最後は「みなさん、これからもがんばっていきましょう!」なんていって、一応期待通りの役目は果たしたわけです。
それで、会も終わって帰ろうかなと思ったんですよ。ところがやっぱりね「会長、帰りの交通費ください」とは、よう言わないんですよ。それで、先輩に相談するんです。会長に呼ばれて来てるんですが、片道切符で帰りの交通費もないんです。会長には申し上げにくいし、ということを。そしたらその先輩も「なんともならんで、それは」と。なんならしばらく俺が面倒見てやるから、しばらくこっちにおれ、ということになって、結局その先輩の家に居候することになるんです。そのときは「もう、お前は営業はせんでいいから。トレーナーしてくれ」と。「若い子らがくるから、その子らに指導をしてくれ」と。だから、まあ、いいかなということでお世話になったんですよ。いまさら売りに歩いてクロージングするのもきついんで。トレーナーならいいかなと。給料も25万くらいはやると。まあ、十分かと思いまして。
ところがですよ。結局営業させられるわけですよ。営業というのも、地方のメンバーさんにゲストができたと。地方のメンバーさんは、まだ、新人さんなので、うまいことクロージングができないから、それにトレーナーとしてついていって営業をしてこいと。結局は営業させられるわけなんですよ。まあ、一応はトレーナーとしていくんですけれども。で、まあ、しょうがないからわかりましたと、場所はどこですかと、そうすると、場所はどこどこだよと。それで、「えっ」ってなるわけです。僕はお金がないんです。電車賃もありませんと。そうすると「はい」、と、お金渡されるんですが、「ちょっと待ってください」と。「これ、片道分じゃないですか??」と。そうすると先輩は「ええやんけ、クロージングして集金して、その金で帰ってこい」と。そんなの無理ですよ、って言っても、通用しないわけですよ。お前は何をエージェントスクールで学んできたんだと。トレーナーだろ?お前が若手の見本にならないでどうすんねん?と。そうなると、僕も意地になりますから、そこまでいうならやりましょうと。それで、本当に片道切符で現地へ向かうわけです。けれど、本当に片道切符代金しかもらってないんで、コーヒー代もないんですよ。コーヒー代もないのに、喫茶店に入って、コーヒー頼んでしゃべって。

そこでクロージングして、現金回収しないといけないんですよ。もう必死でしゃべりますよ。そして、その場はうまくまとまったんです。で、「入会料で最初に3000円払うんです。3000円だけは、どうしても今もらわないといけないんだよ」、っていって、喫茶店出る前に3000円もらって、ありがとね、で、領収書渡して。で、「トイレに行ってくるわ」で、席はずして、その3000円をポケットにしまい直して、じゃあ、具体的に商品の集金をということで、翌日に集金に行きますからと約束して、その場は終わりなんです。コーヒー代払って、翌日の早朝に集金に行くわけですけれども、待ち合わせをして、一緒にサラ金に言って、お金を借りさせて、そして集金して、そのお金の一部で電車代払って帰ってくるわけですよ。当然お金ないですから、その日の宿泊は駅のベンチですからね。コーヒー代払って、駅のベンチで一泊して、そして、早朝集金して。

野口:はあああ、なるほど。

菅野:それを、何回やったかな、4~5回、やりましたね。ずっと駅のホームも大変なんで、メンバーの車の中に泊めてもらったり。本当は、おうちに泊めてくれればいいんですけれども、もうマスコミでもバンバン取り上げられていて、世間の周知になっていますから、メンバーさんも親御さんにはいえないわけですよね。だから、家にはあがらせてもらえない。車の中で隠れるように寝て、朝を迎えて、経費は節約するわけです。




野口:このときでいくつですか?

菅野:23、24?くらいですね。

野口:もともとやっていたマルチは社会的制裁を食らって、でも、その会社もしぶとく生き延びていて、菅野さんもまだ続けていたと。なるほど。このときは大阪が拠点ですか?

菅野:そうですね。大阪です。このころから。このマルチの会社も、手をかえ品をかえ、いろんなものを売っていましたよ。化粧品から、絵画からダイヤモンドから、ボートから、着物・・・・

野口:同じ仕組みで、

菅野:同じ仕組みです。で、メンバーに売りつけるわけです。成人式を迎える女の子には、着物買え、ダイヤ買えと。「この絵画は投資にもなるぞ」とかいって、貯金を持っていそうなやつには絵画を買わせる。それでその会社がいきいなり、新聞社を買い取って、新聞社をやり始めたんですよ。なんとか旅行新聞、とかいう、業界紙?ですかね。小さいけれど、ちゃんとした新聞社でしたよ。腕章とかつけて、ハイヤーの先に小さい旗とかつけて。自分のIDカードを持って。そんな会社のお手伝いも少しだけやっていたんですよ。新聞社勤務ですよ。それで、しまいには、結局このマルチの会社も立ち行かなくなって、しまいには、僕らも身売りされたんですよ。



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# by kukanblog | 2007-08-08 17:25 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
人生の転機(1) マルチ商法との出会い【第一回・第3話】
『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (第3話)



人生の転機(1) マルチ商法との出会い



そのときに出会ったのが「マルチ商法」。A社の社内で流行っていたんです。
友達に誘われて、「ちょっとアルバイトしないか」と。「どんなアルバイト?」と。「聞けばわかる」と。聞けばわかるって、今言えよって言っても、「俺からはいえない」と言って。で、そういう会場につれてかれて、「皆さんの夢は何ですか?」とか、「3つの幸せ」とかですね、洗脳セミナーですよね。
そんな話を聞いて、ある意味ギブアップをしたんですよ。自分の現実に。
大学にいかずに、高校卒業して、A社に入って、組織の一員となった。しかし、そのまま働き続けても、組織の歯車にしかなれない自分に気がついたタイミングだった。マルチはやればやるだけ、評価されて、内容・実績に応じて、部下も持てて、キャリアアップもして、学歴も関係なく、本当に自分次第で決まるわけですよ、その世界は。やっていることの良し悪しは置いといて。

野口:内容は別として。

菅野:はい。
なるほどと。これはやり甲斐があるんじゃないかと。そこからコツコツと始めた訳ですよ。で、ものの三ヶ月くらいで、結果も出始めて。半年たったころには、同じ通帳の中に、A社の給料と同じ額くらいの入金がされるわけですよ。そうすると、これはちょっといけるぞと(笑)。幹部からも、「菅野君、君はいけるぞ」と、おだてられて、そこから調子に乗り出して。
で、がんばりすぎて、田舎から一緒に東京に出てきた友達であったり、そういうところで組織を広げていったのが、そのうち尽きてくるわけですね。ねずみ講みたいなやつは。で、しょうがなく、社内にも手を出していきました。けれど、負い目もあったので、仲のいい友達とか、お世話になっている先輩には、よう言わなくて、どちらかというと軽い友達に「なあなあ」と、声をかけていきました。そしたら、社内にワッと広がってですね。
なんていうんでしょう、当時社内預金があってですね、A社で社内預金をすると、金利もよくて、普通にみんなやっているわけです、社内預金を。そのときに「最近、社内預金の解約が異様に多い」と経理あたりから噂が流れ始めまして。これはなんかおかしいぞと。だいたい僕が入社して1年ちょっとたって、そこそこ、50万とか60万とか、貯まっているところなんですが。僕も含め、みんなどんどん引き出していると。
ということで、社内で調査が入りました。調査したところ、浮き彫りになったのが僕なんですよ。「あいつが影で何かしている」と。あるときに、「菅野君、ちょっと来なさい」と呼び出しがかかって。仕事中に。班長と課長がいて、「菅野君、最近なんかしてないか?」と言われたわけです。「来たか」と、思いましたよ。「バレたのかな」と思いながらも、「いや、会社に迷惑になるようなことは、やってないですよ」と、切り替えしたわけです。「自分の余暇を使って、いろいろ好きなことはさせていただいていますけれど、会社にご迷惑をおかけするようなことはやっていません」と。「そんならいいけれど、ちょっと、変な噂を聞いているもんだから」なんていわれまして。その日はすぐに開放されたんです。
けれど、またしばらくしてから呼び出されて、マルチの会社の名前から、売っている商品から、その商売の仕組みまで全部調べられていて、「これを菅野君が中心になって会社でやっていると聞いたんだけれども」と。「あっ、そのとおりです」と。「会社としては二束のわらじを履くのは禁止しているんだよねーーー」と。なるほど、と。「僕は、アルバイトと思っているわけではありません。余暇を使った活動で、商売を目的にやっているわけではありません」と。実際に僕は残業もしているし休日出勤もしているし、遅刻もしてないし、「問題あるんですか?」と。それでも、「引っかかりそうだよ」と。その日はそれで終わって、後日、今度は部長に呼ばれて、


野口:バリバリの大卒の若手部長、

菅野:そう。その人に、「君のやっていることをちゃんと話しなさい」と言われて。結局最終的には、マルチ商法をとるのか、A社をとるのか、二つに一つだよ、みたいな話になりました。とりあえず、「間違っているつもりはないし、会社に迷惑もかけているつもりもない。だからどちらも辞めるつもりはないです。すいません」と言い放ちまして。


野口:それって、当時何歳ですか?

菅野:えーっとですね。高校卒業して、20歳の秋くらい。A社には、結局一年半いましたので。
で、そこから、先輩やら何やら動き出しまして、寮の先輩の部屋に呼び出されるわけです。そうすると先輩が15人くらいいまして、取り囲まれまして「A社やめてどないすんねん」と。「お前なら、まだ間に合うぞ」と。「俺らから、部長にも言って、何とかしてもらうから」と。先輩方が止めに入ったんですよ。

野口:止めてくれたんですか?

菅野:そう、止めてくれたんですよ。当時は完璧に全寮制で、なんていうんでしょう、すごいみんなに一体感があって。先輩後輩の規律もバシッとしていて。先輩には絶対服従の世界なんです。寮というのは。軍隊ですね。
それでも、自分の主張をして、「A社にいても、あの課長止まりならば、自分としてはチャレンジしてみたい」と。で、大体の先輩は「もうわかった」という感じなんですが、仲には優しい先輩が「自分もその(マルチの)世界は知っている」と。けれど「早々みんなうまくは行かない。立ち行かなくなったらいつでも連絡せい」と、A社には戻れないけれども、A社やめてトラック乗るとか、そこそこ商売になる仕事もあるから、紹介してやると。
そして、次の日ですかね、会社に行って、最終的にどうするんだと言われて、僕は、どちらを採るんだと言われれば、マルチ商法を取りますと伝えて、それならば、今日中に寮を出なさいといわれたんですよ。会社から。それをもって退職とすると。君も、将来のね、履歴書に傷がつかないように、円満退社にしてあげるからと言われたんですよ。へえ、そんなもんなんだなと思って書類を書いて、「一身所の都合により退社いたします」って、その場で「退職願」出して、受理されて、そのまま寮に帰って部屋片付けて、荷物まとめて、「どうしようかな??」と。マルチの先輩に電話して、「退社することになりました。居候させてください」と。そのままそこに飛び込みました。ここからが、また波乱の人生なんですよ。


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# by kukanblog | 2007-08-08 17:15 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
じいちゃん、おじさん、全員「自営業」【第一回・第2話】
『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (第2話)






野口:今日はよろしくお願いします。番頭塾は、「伸びる会社の鍵は二番手が握っている」という私の仮説を検証するための企画です。当然会社経営において重要なのは経営者の思いであるとか理念、それを実現する実行力、「人・モノ・金」のバランスなど、要因はさまざまですが、私も会社を興して何とか8期を終え、これまでさまざまな企業、店舗に接してきて繁盛の秘密みたいなものを自分の中では徐々に体系化しつつあるのですが、やはり、伸びている会社には優秀な二番手が存在するんです。これは、経験則によるものが大きいので、私の中でも完全に体系化は出来ていない。けれど、この「感覚」は間違ってはいないだろうと。この「伸びる会社の鍵は二番手が握っている」という仮説を検証し、将来の外食業界のためにも、体系化しておきたいというのが、この「番頭塾」を始めようとした動機です。


株式会社イデア  会社概要


まずは、菅野氏が所属する会社のご紹介から。

以下、企業HPより抜粋

社名  株式会社イデア
本部所在地
〒564-0051
吹田市豊津町13-44 ユカミ江坂ビル402
TEL (06)6389-9711
ホームページ  http://www.idea-co.jp/
オーナー  淀井 勉
代表取締役 淀井 三智
専務取締役 菅野 功
設立   昭和60年2月22日
資本金   6990万円
年商
165,941万円(2006年度実績)
191,000万円(2007年度予測)
店舗
9店舗(関西エリア)
9店舗(関東エリア)
社員  300名(パート・アルバイト含む)
事業内容
21世紀をリードするレジャー型外食産業
宮崎地鶏炭火焼「車」を展開
宮崎地鶏と旬菜「とり神楽」を展開
鉄板や「かんろ」を展開
鉄板や「御堂」を展開
不動産賃貸事業

※データは、2007年9月現在



 大阪本社の優良企業。経営者が少し変り種で、オーナーの淀井勉氏(本文中では「大将」)は現役のパイロット。そしてその奥様が代表取締役の淀井三智氏(本文中では「三智ねえさん」)。
この「宮崎地鶏炭火焼 車」のルーツは、奥様のお母様が地元宮崎で営んでいた鶏の専門店。当時、パイロットになるために宮崎の航空専門学校に通っていた淀井オーナーが、宮崎の地元メディアでアナウンサーとして勤めていた三智さんと出会う。そのときに三智さんに連れて行かれたのが、お母様が営んでいた鶏の専門店。しかし、当時の淀井氏は大の鶏嫌い。その淀井氏が、「うまい!」と感じたのが現在「車」の名物である「もも焼き」だ。その後、淀井氏、三智さんは結婚し、淀井氏は大阪にこの「もも焼き」の専門店を開業する。それが、「宮崎地鶏炭火焼 車」である。そのときには、お母様も大阪へ呼び、当初の「車」は、お母様がお店に立ち、「もも焼き」を焼いていた、という歴史があるのだ。


 大阪のイチ個人店としての創業から、現在の規模まで成長したイデア。現在話題の外食ベンチャーと比べるとゆっくりとした足取りにも見えるが、確実に一歩一歩成長してきた感のあるイデア社。オーナーの熱い思いと、それを実現するために着実に前に進む番頭の正しい姿が見て取れるのがイデアの強さだ。


 オーナーには「株式公開」などの意思はない。公開することで調達できる資金とそれに伴う「不自由度」。現在の飲食店経営においてはこの「不自由度」が命取りにもなりかねない。圧倒的な判断のスピードが要求される市場状況において「不自由度」はイコール「判断の遅れ」という致命傷にもなりかねない。それを自覚し、あくまで、自己資本プラス間接金融での成長を目指す。そして、「2016年・年商100億円」を目指すという「イデアビジョン」も発表した。当然であるが、このビジョン作成にも大きく菅野氏が関与している。理想的な二番手の関与の仕方が、インタビューからも読み取れる(詳細は記事後半)。


 菅野氏が、いかにしてこの「車」、そして淀井オーナーと出逢ったのか?それまでにどんな人生を歩んできたのか?戦い続ける番頭さんの「作り方」にせまる。


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 菅野氏と野口の出会い。当時江坂店店長であった、菅野氏。そこに、コンサルタント会社の紹介で野口と出会い、今に至っている。野口の口癖は、「菅野専務は優秀」「うちの会社に入ってほしい」。これは、ないものねだりであるが、それくらい菅野氏が優れている、という証拠でもある。緻密で、おおらかで、理想の二番手像を体現している菅野氏。「番頭・菅野」の秘密は、どこに由来するのか?


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じいちゃん、おじさん、全員「自営業」


野口:それでは、まず、菅野さんの経歴から伺っていきます。



菅野:1966年生まれ 41歳。福島県福島市出身。実家はタバコ屋。親父は、男10人兄弟の4番目。うちの親父は、4番目なのに、じいちゃんの面倒を見ていました。



菅野氏のルーツを伺うと「じいちゃん」の存在がクローズアップされる。まさに隔世遺伝とでも言おうか、「事業欲」旺盛な「じいちゃん」の血が、確実に菅野氏には流れている。


菅野:これには理由があってですね、それをお話するにはまず、じいちゃんの話をしないといけないんです。
じいちゃんは農家の家の婿養子。ところが、婿養子なのに、「俺は農家に嫁いだつもりはない」「自分には事業欲がある」といって、農家の仕事を放り出して、奥さんと町へ出てしまいました。家出ですね。その当時で子供は3人、その子供は奥さんの実家に置いたまま。まあ、昔はこんなことよくあったそうです(笑)。それで、そのときにうちの親父が生まれて。だから、うちの親父が町での長男。だから親父がじいちゃんの面倒を見ていました。そこから6人生まれて、全員男。男ばかりの10人兄弟。そして、戦争で死んだりもしたけれど、僕が生まれて記憶があるのは、全部で6人のおじさん。

 このおじさんたちというのが、実は全員「自営業」。サラリーマンが一人もいない。庭先でタバコ屋やったり、水道屋やったり、じいちゃん自身は、当時の福島では、3本の指に入る水道屋だったそうです。しかし、僕の親父がそれを継いで、倒産。二代目で食いつぶしたわけです。(笑)。それを僕はずっと横で見ていて、自分としても精神的には自立していたんだと思います。小学校6年生までは、普通にお小遣いも貰っていましたが、中学校に入ってからは、親から一円も貰っていないです。

野口:いらん、と言ったんですか?

菅野:貰えなかったんですよ(笑)。親父がそういう状況で、事業がうまくいっていないというのもありましたので。中学1年から新聞配達を始めて、自分の収入は自分で稼ぐと。お正月だけ親戚一同集まるんです。うちにはじいちゃんがいますから。そこで、みんなからお年玉をもらえるんですよ。けれど、自分の親からは、お年玉もらったことないんですよ。そういうものなんだと思っていました。そういう環境でした。

 家の経済環境から、自然と「自分で稼ぐ」ようになっていた菅野少年。それは、きっと、じいちゃん、おじさん、みんなが「自営業」という「血」も、少なからず影響していたであろう。

菅野:高校まで新聞配達、で、外食で初めてやったアルバイトは、高校2年の「びっくりドンキー」。当時まだ、「ベル」という名前で、今でも「びっくりドンキー」は大ファンでたまに食べに行ったりするんですけれども。そういう中で、まあ、自分のことは自分でするという習慣はついていました。いろいろ悪さもしていましたけれども、自分で稼いだお金の範囲なので。

 本当は高校卒業して大学へ行きたかったのですけれども、なんせ、全然勉強しなかったので。唯一勉強したのは、高校受験。中学3年の一年間だけ。受ける高校を決めたのも、自分の家の窓を開けると目の前がその高校だったから。「これは便利だ」と。それだけで決めた。しかしそこは、新設の進学校で、僕が入学する時点でやっと、3学年そろう年。当然人気もあって倍率も高い。校風もないので、みんなで作れるみたいな野望もみんなにあったと思います。とにかく、中学3年は1年間一所懸命勉強して、その学校に入りました。けれど、完全に燃え尽きちゃって、高校3年間は遊んでいました(笑)。とりあえず卒業できればいいだろと。一学年に450人くらいいましたけれど、就職は12人くらい。後はみんな進学。全部大学。僕は12人のうちの1人で、当然進学は無理。なんとなく就職先を探していました。

 先生に斡旋してもらったのが、単なる企業ではなく、企業内学校のある会社を何社か紹介してくれまして。一応進学校なので、それなりの企業を斡旋してもらえるんです。そのうちのひとつが大手家電メーカーのA社。A社の川崎にある事業所で、入社試験を受けると、一年間は給料を貰いながら勉強できて、その一年で、大卒ではないが、高卒と大卒の間のような資格はもらえると。これはいいなと思いまして、その会社の試験を受けました。しかし、高校3年間、まったく勉強していませんから、見事に落ちたんですよ(笑)。どうしようと。ところが、A社から、「一般の入社なら入社可能ですよ」と言われて。いわゆる一般作業員というか、ライン仕事ですね。全寮制で、東京行けるし、A社で、聞こえもいいし、親も納得するし、で、入社を決めました。

高校卒業/大手メーカー入社、高卒の現実

福島から上京し、A社に入社。川崎の社員寮に入り、菅野青年の胸躍るはずの、東京生活が始まった。

菅野:作業員といっても、流れ作業のライン担当ではなくて、職場で勉強できるプログラムの職場だったんです。それで、結局半年くらいは勉強でした。パソコンとか、プログラムとかの。昔はエクセル・ワードもありません。MS-DOSとかの世界。画面は真っ暗、文字だけ。

 しかし、このときの経験は、菅野氏の大きな糧となっている。飲食店運営の仕組み化においていち早くパソコンを導入して計数管理を出来たのも、このときの経験が大きく寄与しているはずだ。


 だいぶ仕事にも慣れてきて、一年くらいたったころでしたかね、部長が職場にやってきたんです。初体面。ものすごく若い。うちの職場には班長と課長がいて、班長は、30代後半、課長は40代、しかし、部長は班長よりも若い。30代前半のバリバリといった感じで、パリッとスーツを着こなして。「若い部長ですね」と、先輩に聞くと、「部長は大卒、我々は高卒。だから我々にはあの道はない、いいところ課長どまり。それで、退職だ」
この話を聞いて、俺はすごいところ入ったなと思いました。


 自分なりに野望もありましたし、小さいころから、何とかなるだろうと思っていたし。漠然と、社長になるとは思ってなくても、なんとなく「でっかくなりたい」とは思っていました。しかし、俺の将来の姿があの人たちかと。正直、フニャフニャになりましたね。



 夢と希望を胸に東京へやってきた菅野青年には「高卒」の現実が待っていた。ある意味わかっていたこと。けれど、現実に突きつけられると、若い菅野青年には、冷静に受け止めることは出来なかった。






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# by kukanblog | 2007-08-08 16:55 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
初のインタビュー企画【第一回・第1話】
『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 (第1話)



■初のインタビュー企画




空間計画として、初の試みである「インタビュー企画」。

そのトップバッターに我々は迷わず菅野氏を指名した。

指名したというのもおこがましいが、

やはり、我々の考える「二番手」のあるべき姿を

体現している優秀な経営幹部のお一人である。


野口との付き合いも長くなってきて、

お互い知り尽くした感のある菅野氏と野口だが、

今回改めてインタビューという形でお話を伺って、

体系的にお伺いすることで新たな発見があった。



菅野氏個人のルーツをたどることで、

優秀な二番手の作り方を探る。



そして、「強い組織づくり」を目指す二番手の思考回路を読み解く。




■ゲストプロフィール



菅野 功(かんの いさお)

1966年生まれ 41歳。

福島県福島市出身。

株式会社イデア・専務取締役。


第2話へ






















# by kukanblog | 2007-08-08 16:46 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
目 次 (第一回 菅野専務)
『飲食店番頭塾』【第一回】
  株式会社イデア 専務取締役 菅野功 


■■■ 目 次 ■■■


第1話   初のインタビュー企画

第2話   じいちゃん、おじさん、全員「自営業」

第3話   人生の転機(1) マルチ商法との出会い

第4話   マルチがばれて、A社退社/マルチ商法にのめり込む

第5話   借金のかたに、や○ざに身売り

第6話   人生の転機(2) 飲食業のイロハを学ぶ~外食人・菅野の根っこ

第7話   思わぬ「お家騒動」、そして、多店舗展開→不渡り、社長の雲隠れ・・・・

第8話   大将との出会い

第9話   思いを積み上げていって、「やっていける」と、確信に変わった。

第10話  大事なのは、相手に「なりきる事」

第11話  社長になる自信がない

第12話  飲食店の企業化~「成長ではなく膨張」からの脱却

最終話   番頭は、「あげまん」であれ


# by kukanblog | 2007-08-08 16:44 | 『飲食店番頭塾』 【第一回】
『飲食店番頭塾』とは?

空間計画プロジェクト2007の第一弾として、
『飲食店番頭塾』の連載を開始します。






今まであまりフォーカスされることのなかった、
「外食企業の二番手」に注目し、
外食産業の課題の本質に迫ります。





■対象

外食業界に関わる様々な皆様。
経営者、経営幹部は、もちろん、何より、熱い気持ちを持つ、経営者予備軍、未来の経営幹部候補生。

また、外食産業周辺のメーカー、サプライヤーの皆様にも読んでいただきたい企画です。


■内容

毎回、優れた外食企業の経営幹部、いわゆる「二番手=番頭さん」をお招きし、自らの経験、そして外食に対する熱い思い、持論を、野口との会話の中でお聞きする。

■インタビュアー

当社代表 野口信一

■企画背景

厳しい市場環境の外食産業。
そんな中、勇猛果敢に成長を続ける企業には「優れた“番頭”」の存在が共通項としてあった。外食企業はトップである社長のカリスマ性や馬力がクローズアップされてきたが、実はそのウラには「優れた“番頭”」が存在してこそである。

トップのビジョンと、それを実現させる番頭の実行力、この両輪があって企業は初めて機能する。

今まであまり語られることのなかった「番頭」の姿を浮き彫りにし、厳しい外食産業を生き抜く秘密を探る。



■もうひとつのテーマ

飲食業界の「新しい生き方」
こんな夢の見方もあるぜ!「独立したい」という若者にあえて物申す!



外食と言えば、
参入障壁が低く、脱サラする一番の業種であります。しかし、時代は移り変わり、簡単に始めて、簡単に成功するような状況ではなくなっています。しかし、それでも、外食において独立を選ぶ人はこれからも後を絶たないでしょう。

この「飲食店番頭塾」では、外食産業において「組織人として生きる」ことのメリット、楽しさにもフォーカスしていきます。

いたずらに外食産業における独立開業を促すアクションはもうナンセンスであると言う仮説のもと、組織を大きくし、自分のステイタスを上げていくという生き方を選んだ人たちが、私たちが注目する「番頭」の皆様。彼らの言葉に耳を傾ければ、新しい外食産業での生き方、個人の価値観が見えてくるような気がします。

第一回は、13話に及ぶロングインタビューです。コンパクトにまとめることも出来ますが、あえて、4時間以上に及んだインタビューをほぼ余すことなく掲載いたしました。これも、今回登場いただいた菅野専務の「熱」を感じていただくほうが、より皆様にも伝わりやすいとの判断からです。それではごゆっくりとお楽しみください。


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# by kukanblog | 2007-08-08 16:43 | 『飲食店番頭塾』とは?
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